今日のみ言葉【No.1843】(2018年 9月25日)「 神の国のたとえ(3)」

神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。それは一粒のからし種のようなものである。
(マルコ4:30-31)

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からしの木とはどんな植物で、その種はどのくらいの大きさなのでしょう?

私がイスラエル聖地旅行に行った時の画像がありますので、下記リンク先をご覧下さい。

聖地イスラエル報告メール(4)

1円玉の右側にある茶色の粒々がそのからし種です。

神の国とはこのようなものであるとイエス様はお語りになりました。

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神の国のスタートはこの地上にあって小さいのです。

「地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さい」
(マルコ4:31)

この世の企業・団体と比較すれば小さすぎて見えないくらいで、地の塩・世の光たる影響力をほとんど持ちません。

当然、周囲の人々も関心を持ちません。

しかし、

「まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」
(マルコ4:32)

と約束されているように、神の命を宿すところには成長があり、やがて「空の鳥」で象徴されるように世の人々があなたを通して神の恵みにあずかるような未来が設計されているのです。

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ただし、神の国は個人の夢実現のための機関ではなく、利益追求団体でもありません。

それは神によって支配される生活共同体であり、聖霊という同じスピリットによって一致した霊的共同体です。

このコミュニティーは、最初は小さくて見えなくても、神の命を宿して成長します。

そして目に見える形として、世の終わりの時に神の支配が行き渡るようになります。

この神の国の完成を待ち望みつつ、それを目指し、この世で生活するのがクリスチャンです。

ですから、常に表に出てその存在を誇示し、その勢力を誇るようにする必要はありません。

自分が成功しているのか失敗しているのかをしょっちゅう気にしている必要はないのです。

目先の出来・不出来や成功・失敗に一喜一憂することはあっても、「やがてああなる」と神の国の完成を見据えているので、神の支配の中に身を委ねている人は間もなく回復します。

からし種ひと粒ほどの大きさでよろしい、と神から受け入れられている人は幸いです。

他者と比較することなく、自分の中にある神のいのちの成長をただひたすら喜び楽しみ、神の力によって目の前の難関が開かれる奇跡を体験する人生を送れるからです。

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かと言って、何でも自分の思い通りにうまくいくということではありません。

私は自分の祈りを振り返ってそう思います。

「神様、この苦しみ、悩みを今すぐ取り除いて下さい。試練から抜け出させて下さい」

という祈りは、ほんの僅かの例外を除いて、かなえられたことはありません。

まず無理です。

ですから今も苦しみの中におり、それは生涯続くものと思っています。

しかしやがて、

「この苦しみを通して、あなたが私に身につけさせたいものがあるなら、どうぞ成し遂げてください」

という祈りまで人は導かれていくものです。

この祈りはスムーズに聞かれます。

振り返れば、

「あの時は苦しく、試練はいつまでも続くように思ったけど、あの祈りの聞かれ方には何の文句も出ない」

と思います。

神の国は、放っておいたら自動的に大きくなっていたというのではなく、このような苦しみの日々の積み重ねとして成されていくように思われます。

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あなたという良い地に小さなからし種ひと粒をまく今日として参りましょう。

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