今日のみ言葉【No.1845】(2018年 9月27日)「 復活(2)」

肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。
(第1コリント15:44)

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お祭りで買ってきた金魚を、勢い良く家の水槽に「ポッチャーン!」と入れていた思い出があります。

本当は「水合わせ」をしないとお魚に負担をかけてしまうのだと後で知りました。

金魚が入ったビニール袋を水槽の上に30分ほど浮かせ、水温を同じにします。

それから徐々に水槽の水を袋に入れ、水質を同じにします。

最後に、網ですくって丁寧に水槽に移すか、金魚が自分で水槽に泳いでいけるように袋を横にします。

新しい世界に入るのには踏むべき段階があるのです。

人はまず魂が救われ、その後に体が救われます。

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ところが、キリストを信じてクリスチャンになったのはいいのですが、救われた魂がまだ救われていない肉体の中にある状態で地上の生涯を送らねばなりません。

これが霊的に新生したクリスチャンが感じる葛藤の原因となります。

パウロが

「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」
(ローマ7:24)

と嘆くのも当然です。

しかし、彼はいつまでもクヨクヨと悩んではいませんでした。

なんと直後の25節でガラッと転換し、解決しています。

「わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな」
(ローマ7:25)

それまでの絶望の闇が、一瞬にして希望の光に変わったような感覚です。

肉体の救いは復活の時になされるという福音を彼は得ていたからです。

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永遠の生命にふさわしい霊の体がどういうものかは私たちには詳しく知らされていませんが、自然界を見た時にある程度推察することができます。

あの美しい蝶を例にとって考えてみましょう。

醜い毛虫が、やがて死んだように動かなくなる蛹になり、そこから蝶となって羽ばたき、美しい花々の間を飛び回ります。

母親が幼い子供に

「あの綺麗なチョウチョは、元は毛虫だったのよ」

と教えても、子供は毛虫と蛹と蝶は全く別の生物としか思えないことでしょう。

しかし大人は、これが一つの同じ生命の連続体であることを知っています。

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人の復活はこれと似ています。

私たちの今の肉体は毛虫にたとえられます。

この肉体は蛹のように一時的に滅びますが、やがて永遠の生命にふさわしい霊の体が与えられる復活の時が来ます。

「肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである」
(第1コリント15:44)

その時は、蝶のように美しく、神を賛美しながら自由に生きることが出来るでしょう。

もはや病気も死もなく、おびえることは何もありません。

全ての働きが調和の取れた健全なものとなります。

これが人類に与えられた唯一の希望です。

その保証はイエス・キリストの復活にあります。

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復活の希望という灯火を灯して、今日の闇の中を照らし出して参りましょう。

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