今日のみ言葉【No.1821】(2018年 8月28日)「 種まきのたとえ(2)」

聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
(マルコ4:3-4)

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今日の聖句は何の変哲もない平凡な一日のある場面です。

野鳥観察グループの人でも観察日記にこんなことまでは記さないでしょう。

しかし、イエス様が「聞きなさい」と言ったのですから、どんなことからも神の真理を汲み出そうとする人、つまり「聞く耳のある者」はこれを聞いて自分の魂の状態と照らし合わせて考えます。

イエス・キリストがたとえ話を使って語る時の恐ろしさがここにあります。

うっかりしていると、私たちの魂に蒔かれた種が食べられて失われていること、そしてその警告が事前に発せられていたことすらもわからないまま生きていることになるのです。

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ありがたいことに種まきのたとえには十二弟子向けの解説が残されています。

まるで解答付きの問題集のようなものです。

イエス様はこう解説されています。

「種まきは御言(みことば)をまくのである」
(マルコ4:14)

種とは神の御言、私たちにとっては聖書の言葉だと解き明かされています。

今や誰もが聞こうとすればキリスト教のメッセージを自由に聞ける時代であり、聖書は買うだけでなくギデオン協会の方々が無料で配布している時代です。

このように種はあらゆる所、つまり全人類に蒔かれているということです。

では、道ばたに落ちた種が鳥に食べられてしまったとはどういうことでしょうか。

イエス様は続けてこう語られました。

「御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである」
(マルコ4:15)

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人の心にはよく耕された畑のような部分と道ばたの部分があるのです。

どんな人も種が蒔かれたら実を結ぶことができます。

ただしそれは自分が興味を持った時であり、関心がある領域に種が蒔かれた時に限ります。

人は自分の利益となるかどうかで種を「いる・いらない」に振り分けているのです。

つまり、イエス・キリストの言葉の中から「いいなあ」とか「これは役に立つ」というものだけ受け入れて、後は放ったらかしにして捨てているということです。

自分の利益と興味を基準にして神の愛を判断すると、「自分は幸福になれるか」「願いがかなうか」という物差しを使うことになるので、それに当てはまらないものは心に残りません。

そのようにして、本当に必要な御言葉はサタンに全部持って行かれてしまうのです。

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解決策は、こまめに神様と連絡を取ることです。

祈りを通して、

「神様、御言葉を与えてくださり感謝します」

と語り、それだけではなく、

「神様、今日読んだこの御言葉はちょっと私には無理みたいです…」

という率直な感想も祈りの中で言いましょう。

そのような中で神様は私たちを導いて下さいます。

それは私たちが描く一直線の簡単な道ではなく、曲がりくねった先の見えない道を通らされる時がありますが、結果的に「いろいろなところを観光できた」という導きになることが多いものです。

そのようなことを幾度となく体験すると、神は愛であるということがだんだんわかってきます。

そうすると、自分の思いで御言葉を振り分けるのではなく、全てを感謝して受け止めていくことが御心なのだとわかってきます。

神との関係を密接なものとしていくことが、御言葉を受け入れる鍵なのです。

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「神様、今日もお元気ですか?」と挨拶をするような間柄として今日の一日を神と共に歩んで参りましょう。

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※御言葉メールのスケジュールは、
 ・月曜と木曜…初級(入門講座)
 ・火曜と金曜…中級(マルコ福音書講解)
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となっております。