今日のみ言葉【No.1814】(2018年 7月30日)「 人間(2)」

わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。
(ローマ7:15)

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「私は正直者である」

こう言ってみて、嘘くささを感じ、思わず笑い顔を浮かべてしまう人は精神的に健康です。

時と場合によっては嘘をつく自分を知っており、その自分も私だと受容しているからです。

ところが、

「私は正直者でなければならない」

となると俄然状況が変わります。

嘘をつかない正直者の自分という堅固な枠でガシッと固められますので、その反対の弱い自分が行き場を失います。

一片の嘘も存在が許されませんので、あってはならない自分は抹殺されそうになります。

そこで陰の自分は身体症状という形でその存在をアピールします。

それが「うつ病」となって現れるのです。

ですから、「うつ抜け」するための重要なポイントは

「枠にはまった自分も自分、枠から外れている自分も自分」

「頑張っていても良し、頑張らずにいても良し」

と、両極端の自分の存在を認めることです。

これを「自己受容」と言います。

人間とは矛盾した存在である、と認めることが現実的な生き方のスタートラインです。

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精神医学的にはそうであるとして、さて、聖書では人間をどう見ているのでしょうか。

神の似姿の通りに生きる時、私たちは人間らしく生きていると感じます。

しかし、現実の人間の姿は矛盾と不安に満ちたものです。

パウロは自分こそそのような存在であることをローマ人への手紙の中で赤裸々に語っています。

「わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである」
(ローマ7:15)

私たちの肉体は弱く、神の存在を否定している魂は簡単に悪魔の誘惑に乗ってしまいます。

「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す」
(ヤコブの手紙1:15)

パウロは自分が善い事をしようとしても、それができない苦悩の中にいました。

「なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである」
(ローマ7:18)

カウンセラーなら、

「それがあなたそのものなのだから、そのような自分を認め、自分をまるごと受け入れなさい」

と言うかもしれません。

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しかし、聖書が知らせる神の解決方法はもっと本格的、徹底的なものです。

「自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしている」
(ローマ7:15)

というのは罪のゆえであると聖書は主張します。

それは人間が神から離れ、その関係が本来あるべきものから切れてしまったことを意味します。

ラジオが電波を正しくキャッチしないと雑音ばかりが出てくるように、良かれと思ってやったことが失敗と不評というガラクタばかりの結果となっているのです。

神はこの罪を根本的に解決なさいました。それがイエス・キリストの十字架です。

神は全人類の罪の身代わりとして、ご自身のひとり子のキリストを十字架につけ、キリストは3日後に死からよみがえられ、その犠牲の死が神の基準を十分満たしたことを証明なさいました。

ですから、イエス・キリストの十字架が自分の罪の身代わりのためであったと信じるなら、その人は救われているのです。

このようにして、罪ある自分が完全にゆるされているという恵みの解放感の中で、善いことをしようと思っても出来ない自分を受け入れ、愛していくことができるようになっていきます。

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完全な自己受容は、キリストの十字架を信じるその基盤の上にのみ成り立ちます。

できない自分ができるようになってもいい、できなくてもいい。

この恵みの中を生きる今日として参りましょう。

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