今日のみ言葉(2012年 4月3日)【No.277】
イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。
(ルカ24:23)
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今日の聖句は復活の個所です。
イエス様が復活されたことはキリスト教信仰の根本的なところです。
それがあったかなかったか、という証明に時を使うことにも意味はありますが、それ以上に大事なことは、
「キリストの復活を信じ、今も生きておられるイエスに出会う」
ことです。
信じた者だけが生きている神を知ることができるからです。
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その「信じる世界」に一瞬に入ることができる人がいらっしゃいます。
しかし多くの人はなかなかそうはできないものです。
人の言うことを鵜呑みにしてどれほど苦い思いをしたか、だまされたか、という過去の記憶が重しとなっているからです。
ルカ24章の弟子たちも、直接イエス様と話していながら、そう認めることが出来ないくらい「信じる世界」とはかけ離れていました。
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そのエマオ途上の弟子たちに対して、イエス様は、
(1)聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
(2)彼らと共に泊まるために、家にはいられた。
(3)一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、
という3つのことをして下さいました。
ここに私たちも「信じる世界」に招き入れられるための3段階があります。
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(1)
まず、聖書の解き明かしです。イエス・キリストが救いをもたらすためこの地上に来られた意味を理解することです。
(2)
次に、生活の中にイエス・キリストを受け入れることです。
理科の実験で使った「試験管」にたとえてみましょう。
自分を試験管として、そこにイエス様を迎え入れて生活したらどうなるか、という実験をしてみるのです。
理科の実験では試験管の中の溶液の色が変わったり、泡が出てきたり、様々な変化を観察しました。
あなたの人生という試験管に神様を入れたら、どんな変化が起こるかを観察するのです。
(3)
パンを割いて渡すのはその家の主人の役割でした。
ですから、3番目の意味は、イエス様を主人として生きることです。
理科の実験では、その主はあなた自身でした。
しかし、「信じる世界」に入りそこで生きるためには、パンを割く役を自分からイエス様にお渡しする必要があります。
そうすると、弟子たちの目が開けて、
「それがイエスであることがわかった。」
となったのです。
イエス様をお客様としてお付き合いしているうちは、復活のキリストは曖昧なままです。
しかし、主人をイエス様とした時から、私たちの霊の目が開かれていくのです。
イエス・キリストに人生の主権をお渡しするという主客の転倒が「信じる世界」の肝心要のポイントです。
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神様が私たちに望んでおられることを、まず一つ、させていただきましょう。
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