今日のみ言葉【No.1805】(2018年 7月19日)「 イエス・キリスト(5)」

主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
(詩篇23:1)

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私たちの教会の会堂の正面に、木彫の詩篇23篇1節の御言葉が掲げられています。

山形ジョイフルチャーチがスタートする際に、ある方が捧げてくださったのです。

私はこの御言葉を信じたました。

以来25年、本当に乏しいことはなかったと断言できます。

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詩篇23篇の牧者とは良い羊飼いであるイエス・キリストのことです。

「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる」
(ヨハネ10:11)

これに関しては事前に証明がありません。

神の側から一方的に示される真理。

これを「啓示による真理」と言います

真理だと信じ、その通りに行ってみて、やはり正しかったのだと経験によって知られる真理です。

「イエス様は良い方であって、この方が私の人生を導く牧者。この方に従っていったら乏しいことはない」

と、まだお金も食料も具体的保証も何も無く、ただ、そうなるという約束の言葉だけをいただいて、そう信じて歩みを進めること。

それが信仰によって生きるということです。

「わたしは道であり、真理であり、命である」
(ヨハネ14:6)

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カルト宗教はこれを上手に悪用します。

「考えないで言われた通りやれば真理に到達できます」

そうやって犯罪者になってしまった人たちは本当に可哀想です。

ですから、先に信仰を持った先輩クリスチャンの話を聞き、信仰を持って教会に来ている人の生き方を見ることはとても大切なのです。

「神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい」
(ヘブル13:7)

理論を聞いて納得することも大切ですが、先人の人格を信頼し、自分の行き先を決定するのです。

これが生きた信仰のあり方です。

信仰の先輩は、その生き方を通してイエス・キリストとはどんな御方かを示してくれます。

そしてイエス・キリストは、その言葉と行いを通して、天の父なる神はどのような御方か、神の姿を示して下さいます。

「わたしを見た者は、父を見たのである」
(ヨハネ14:9)

神はキリストを通してご自身を人間に示されたのです。

これが神の啓示です。

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私たち夫婦の証しをひとつ。

教会をスタートした当初、妻からの恐怖の一言がありました。

それは食事の後、

「あなた、このご飯でお米がなくなりました」

というものです。

私はびっくりして、昨日一緒にスーパーに行った時にどうしてお米を買わなかったのか、と問うと、

「お米は与えられるものですから」

と涼しい顔。

牧師夫人から厳しい訓練を受けた人なので、その点は徹底しており、もはや鼻歌で讃美歌を歌っています。

青い顔をしているのは私です。

今日中に買いに行ったほうがいいな、と考えていると、

「ピンポ〜ン」

と玄関に宅配便が届きます。

開けてみると、なんとお米!

「ほら、やっぱり。神様はご存知なのよ」

とニッコリ微笑む妻。

この現象を認められない私…。

こういうことが一度や二度ではありません。

間違いなく5〜6回は起きました。

そこで私は傲慢にもこう考えました。

「なるほど、こうなっているのか。じゃあ、次回もそうなるんだ。米なんか買うな。待ってれば来る」

しかし、私がやっているのは「計算」で、家内のは「信仰」です。

私が待てと指示した時は、一向に何も来ませんでした。

1週間、パンとうどんで過ごした後、とうとう私は音を上げてお米を買いに行きました。

今はそういう時代は終わり、定期的にお米を買うようになっていますが、神様は私たちの信仰を堅くしてくださるためにそのような奇跡を起こしてくださったのです。

振り返れば、詩篇23篇の言葉通り、乏しいことはありませんでした。

本当に食べられなかった、という期間はありませんでした。

あえて断食した時はありましたが、それ以外食べられないという時はなく、お米を与えて下さる神の存在を私たちは知らされた伝道生活です。

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神の啓示であるイエス・キリストを今日も体験する一日として参りましょう。

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