今日のみ言葉(2011年4月19日)【No.30】
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。」
(ヨハネによる福音書14:1-2)
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今日の聖句の「心を騒がせないがよい」という所をもう少し詳しく訳すと、
「心を騒がせ続けないがよい」
となります。心乱され続けるな、ということです。
そうです。心というものは簡単に騒ぎ、アップダウンするものなのです。危ないと思ったらドキッとするし、思い通りに進むと舞い上がり、期待はずれだとガッカリし…。
しかしこれは人間の命が保たれるための当然の反応です。神が人間に与えられたシステムですから、これはこれで良いのです。
問題は、「心を騒がせ続けてしまっている」ということです。
神が意図された人間の心の状態は「平安」です。平安な心でいることが神の基準なのです。ですから、もし心を乱し続けるような使い方をしているとしたら、神の御前で罪に当たります。ここが聖書の言う「罪」と人間が考える「道徳」の違うところです。
自分の心すらコントロールできず、神が定めた基準を満たさない「罪」の状態にある人間のために、神はそのひとり子イエス・キリストを世につかわし、私たちの罪の身代わりの犠牲として十字架につけられました。その十字架が自分の罪のためであったと信じる者全てに永遠の命が与えられ、肉体の死の後に天国へ迎え入れられるのです。
「わたしの父の家には、すまいがたくさんある」とは、その天国のことを言っています。地震で全壊したり、津波で流されたりしないで、安心して憩うことが出来る永遠の住まいがそこにある、と希望と保証を与えて下さっているのです。
心騒ぐ時には、永遠の天の住まいを思い見ましょう。つまり、
「私は今、何のためにこんなに一生懸命やっているのか?」
と、立ち止まって考えてみるということです。
「ちいろば牧師」という愛称で有名な、故榎本保郎牧師はその著書の中で、
「私たちはこの世において、死ぬ時に天国へ持っていくことのできないようなもののために、一生懸命になっている」
と述べておられます。もちろん、この世の仕事を全て放棄して良いということではありません。しかし、同じ苦労をするなら、その働きの結果が空しいものに終わらず、永遠につながるもののために、一日の貴重な時間を使っていきたいものです。
今日も心を落ち着けて、神を信じて歩みましょう。そして、天国へ一緒に持って行けるもののために働けるよう、心を砕きたいものです。
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