今日のみ言葉【No.1786】(2018年 6月26日)「 安息日を守る」

安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。
(マルコ2:27)

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今年から東京で生活を始めた孫へ、山形のおじいちゃんおばあちゃんが旬のさくらんぼを送りました。

早速SNSで「さくらんぼパーティー」のご招待。

集まった友人たちは、

「ちょっと待って、今洗ってるから」

の声にワクワクし、きれいな小皿に取り分けられた数粒のさくらんぼを想像していました。

ところが、出てきたのは、ざるに山盛りのさくらんぼ。

「何、これ〜!」

と驚きの声が上がると、そのお孫さんは

「だって、地元ではこういうのでしか食べたことないもん。他の食べ方知らない」

と涼しい顔。

これには友人たちも絶句。

「山形って、そんな贅沢してるところなのか…」

そうなのです。祝福にあふれた生活とは、それが当たり前の生活なのです。

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神は人間に対して、7日に1回休みなさいと命じておられます。

聖書はこの日を「安息日」と呼び、

「主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」
(出エジプト記20:11)

と、その理由も記しています。

安息日を守り、7日に1回の休みを取るライフサイクルは神が定められたものです。

しかし、その通りに生きれば、売上倍増、常に勝利…、などと単純には言えません。

経営なら、6日間営業より7日間営業の方が売上が多いのは当然です。

運動選手なら、6日練習する人より、休み返上で1日多く練習する人のほうが早く上達するでしょう。

短期的に見ると、現実と聖書は逆です。

ですから、人は働くことによって幸いを得ようとします。

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聖書が私たちに勧める生活とは、あなたを創造し、あなたのために最高の計画を持っておられる神と共に生きる生活です。

6日間の労働をし、7日目に安息を取り、日曜日の礼拝を守る生活。

それは、私たちが神と共に働きながら、日々神を賛美する生活となります。

これは世の終わりに

「昼も夜もその聖所で神に仕えている」
(黙示録7:15)

という形で完全に実現することになっていますが、現在はそれまでのひな型になっています。

この生活を、「人生」という長いくくりの中で続けていく時、私たちはこの世の価値観という縛りから解放され、当たり前の生活の中に驚くほどの神の祝福を見出して生きるようになるのです。

先ほどのお孫さんが、当たり前だと思って食べていたさくらんぼ生活が、実は途方もない贅沢な生活だったと気づくようなものです。

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休息を取らない生活は、疲労が体も心も蝕みます。

目はこの世の利益だけを追い求める目となり、心はただこの世のことだけに使われ、永遠を思う思いがいつしかなくなっていきます。

神の安息を守り、神の祝福を得る生活を送られますように…。

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※御言葉メールのスケジュールは、
 ・月曜と木曜…初級(入門講座)
 ・火曜と金曜…中級(マルコ福音書講解)
 ・水曜と土曜…上級(信仰生活の訓練)
となっております。