今日のみ言葉【No.1784】(2018年 6月23日)「 神の祝福を受けるための訓練『続ける』(1)」
主は心の砕けた者に近く、
たましいの悔いくずおれた者を救われる。
(詩篇34:18)
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「継続は力なり」
学校の標語によく使われる言葉です。
在学中は先生や周りの助けによってこの標語のとおりに生きられても、卒業して世の中に出れば、
「七転び八起き」
の方が本当の姿なのではないでしょうか。
挫折してもまたやり直す。
これが真の継続です。
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聖書の登場人物は、神への信仰を貫いた人ばかりです。
アブラハムしかり、モーセしかり、ペテロしかり、パウロしかり…。
しかしこれらの人々は、同時に大きな挫折を味わった人たちです。
アブラハムは神からの約束を信じ切れず、ハガルとの間にイシマエルをもうけました。
モーセはヘブル民族を奴隷から解放する野望が40歳にして絶たれ、王宮から荒野の生活に追いやられました。
ペテロは死んでもイエス様についていくと大見得を切りましたが、鶏が鳴く前に3度主を知らないと否定しました。
パウロはクリスチャンを滅ぼすことが神の御心だと勘違いし、ダマスコ途上でその誤りに気づかされました。
皆、自分の過ちに悩んだ人たちです。
しかもそれらは大きな犠牲を自分にも周囲にも与えるもので、取り返しのつかないことでした。
こんな挫折を味わった後では、継続することなど不可能に思えます。
自分に絶望し、自分の中に続ける力も動機も理由も見いだせなくなります。
「続けられない自分なのだなぁ…」
しかし、続けられない、継続できない自分である、ということを認めるところから、神の力による継続が始まるのです。
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アブラハムは、その後、つまり全く肉体の力が衰えた100歳の時、サラとの間にイサクを得ます。
モーセは80歳にして神の召命を受けます。
ペテロは復活のイエス様から「私の羊を飼いなさい」と教会をゆだねられます。
パウロはキリスト教の迫害者から伝道者となります。
できない自分である、と認めること。
そこから神の力によって新たな人生が始まり、そこから先は神の力によって継続がなされるのです。
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私は自分の骨折からそのことを実感しています。
お医者さんが2枚のレントゲン写真を見せて下さり、こう言われました。
「1週目と3週目で、3週目のほうが折れた部分が広くなっているのがわかりますか?」
見ると、素人の私でもわかります。
白く見える骨に一直線の黒い線。これが折れた個所。その黒い線の幅がちょっと太くなっているように見えます。
「え、悪くなっているのですか?」
と尋ねると、先生は
「人間の体は新しい骨を作る際に、古い骨を壊すのです。そして新しい骨が出来上がります」
と笑顔で答えて下さいました。
私がしていたことは、自分を良くしようとする努力を一切あきらめ、せいぜい湿布を貼っているくらいでした。
後は神にゆだね、神がなされるわざを賛美するだけです。
それが最高の治療法なのだということを知った貴重な経験でした。
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続けるためには、まず、続けられない自分を認めることです。
そこから神にゆだね、神の力によって継続されるわざを賛美して参りましょう。
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