今日のみ言葉【No.1763】(2018年 5月28日)「 信仰の絶対性(2)」

信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。
(ヤコブ5:16)

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公共の会館をお借りして集会をした時、他宗教の方と隣の部屋になりました。

休憩時間、ロビーで一緒になり、意図せず話が耳に入ってきました。

「まず祈ってみることね」

「○○さんは経済の問題が祈って解決されたから、あの人のところに相談に行ってみたら?」

あれ、教会で聞くのと同じような話をしているな、と思って私は思わず笑みがこぼれました。

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客観的に見て、癒しは他宗教でも起こります。

全人格を傾けて信じる時、そこに医学では説明できない治癒が起きることがあるのです。

ですから、キリスト教だから病を癒せるのではなく、「キリスト教だって癒しくらいは起きますよ」というのがより正確な言い回しだと思われます。

さらに、医学ではプラセボ効果(偽薬効果)というものがあります。

胃腸の調子の悪い患者さんに、ただの小麦粉を「最新の特効薬」だからと飲んでもらうと、症状が本当に緩和してしまうというような例です。

人の心次第で治る病気というものは確かにあるのです。

このように、癒やされたから信じる、ということがあっても良いのですが、癒しが必ずしも信仰の絶対性に結びつくわけではありません。

癒やされて信じる人もおり、癒やされても信じない人もおり、癒やされなくても信じる人は信じるのです。

信じていたから癒やされた、というのが正当なところです。

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また、神を信じたら経済的に豊かになり、そうでない人は祝福されないという説を聞くことがありますが、それは現実を正しく見ていない考え方です。

確かにイエス・キリストを信じ、生活を改めて行けば、自ずと浪費癖や無駄な出費を抑えられ、前向きに生きていくので仕事や経済が好循環していくだろうということは考えられます。

しかし、クリスチャンでも貧しい方はおられますし、経済的に豊かな人もおられます。

神を信じていない人のほうが圧倒的に多い日本での現実を見ると、神を信じていなくてもお金持ちはお金持ちですし、貧乏な人は貧乏です。

ですから、「信じたらお金が儲かったので神はいる」という考え方は必ずしも信仰の絶対性の保証となるとは限りません。

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さて、「癒し」と「お金」の話をしてまいりましたが、それは「御利益(ごりやく)」の代表として使わせていただきました。

決して癒しと経済の祝福を否定しているわけではありません。

多くの人は最初は御利益目当てで神に近づきます。

自分を幸せにしてくれる存在としてでないと、神の存在はなかなか視野に入ってこないからです。

入り口はそこからでいいのですが、やがてどこかで御利益に頼る姿勢から卒業していかなければなりません。

そうでなければ信仰が続いていかないからです。

癒やされたから信じた人は、自分が健康でなくなると信仰がぐらつきます。

そして、自分の教会より癒しがもっと盛んな他の教会、あるいは他宗教に移っていきます。

経済的に豊かになることを土台として信じていると、経済が破綻した時点で信仰も足場を失い、信仰も破綻してしまいます。

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焦る必要はありません。

まず、

「信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる」
(ヤコブ5:16)

という恵みを大いに味わいましょう。

そしてそれに続く

「かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる」
(ヤコブ5:16)

という所から、他宗教に無い、キリスト教を選ぶべき領域に入っていきます。

そこから本格的に歩みだしていけばよいのです。

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あなたの行く道は、神が一歩々々、導いて下さいます。

ゆっくりじっくり歩み、走るべき所に来たら思い切って進ませていただく…。

そのような神と共なる人生を送って参りましょう。

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