今日のみ言葉【No.1724】(2018年 4月 7日)「 神の祝福を受けるための訓練(2)」
わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。
(ヨハネ1:30)
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「アニーローリー」は駅のチャイムやデパートの閉店時の音楽として流されるくらい有名な曲です。きっとどこかで耳にしたことがあるでしょう。
教会ではこれにキリスト教の歌詞をつけて昔から歌ってきました。
(聖歌582番「神の御子にますイエス」"Oh,Who’ll stand up for Jesus" )
サビの部分は
「すべてを捨てて 従いまつらん わがすべてにます 王なる主イェスよ」
となっています。
しかし、そんなに簡単に、安易に自分の人生を捨てて従うなどということをしていいのでしょうか?
キリストの弟子たちは一切を捨ててイエス様に従って行きましたが、その前に十分な準備期間と信頼できる人からの保証をいただいています。
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従うことは神の祝福を受ける基本の基本ですが、軽率な判断で決めてしまい、とんでもない人の言うことを聞かせられて人生を棒に振ってしまったら大変です。
シモン・ペテロとその兄弟アンデレとがイエス様から、
「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」
(マルコ1:17)
と献身の招きを受け、すぐに網を捨ててイエスに従うことができた背景には、彼らの師であるバプテスマのヨハネの助言がありました。
「ヨハネはまたふたりの弟子たちと一緒に立っていたが、イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、『見よ、神の小羊』」
(ヨハネ1:35-36)
二人の弟子とはアンデレとヨハネ福音書の記者ヨハネです。
彼らは、イエス・キリストこそ人類の罪の贖いのために捧げられる「神の小羊」である、とここでバプテスマのヨハネから示されました。
それ以前に
「わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである」
(ヨハネ1:30)
とも予告されています。
アンデレは兄弟のペテロに、ヨハネは兄弟のゼベダイに、このことを話しました。
その上で、マルコ福音書第1章にある鮮やかな従い方ができたのです。
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先生に教えていただける弟子は幸いです。
周りの人から教えていただける人物、周囲が快くあなたに教えてくれるようになるにはどうしたらいいのでしょう?
それは謙遜に従う小さな訓練の積み重ねです。
ある名優のエピソードです。
出番待ちで舞台袖にいると、若手の俳優から
「先輩、靴の紐が緩んでますよ。危ないんじゃないですか」
と言われました。
「あ、そうだね。親切にありがとう」
と言って、その名優は靴の紐をギュッと結び直しました。
後輩の若手俳優は満足してその場を去りました。
するとまもなく、名優は靴の紐を緩め始めました。
周囲の人がなぜかと尋ねると、
「この場面は遠いところから帰ってくるところなんじゃ。そしたら靴の紐は緩んでいなければおかしいじゃないか」
と彼は答えました。
当然周りから
「ではなぜあの若い俳優の言うことを聞いたのですか?今おっしゃった理由を言って靴紐はそのままのほうがいいと教えてあげればよかったのでは…」
という言葉を彼は遮るようにして、名優はこう言いました。
「もしそんなことをしたら、私は彼から二度と教えてもらえなくなるんだよ」
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小さな「はい」という従い方が、やがて大きなことに従える土台となるのです。
今日、私たちが「はい」と言うことができますように…。
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