今日のみ言葉【No.1704】(2018年 2月15日)「 神の電波時計」

そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。
(エペソ1:22)

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自動的に時間を合わせてくれる電波時計は暮らしに身近なものとなりました。

これが一躍有名になった時があります。東日本大震災の直後です。

日本に2個所ある電波の発信所が福島原発から17kmの近くにあったため、送信が停止し、東日本全体の電波時計が1ヶ月以上時刻合わせができなくなったからです。

電波をキャッチしなければ普通のありきたりの時計になってしまいますから、それぞれの性能に合わせて独自に時を刻んでいきます。

その1ヶ月間、東日本の電波時計の時刻はバラバラで合っていませんでした。

しかし、電波送信再開後は全ての時計の時刻は一致します。

これは人間も同じで、神の波長に合わせているかいないかで、バラバラの秩序のない世界を生きるか、一致と調和の世界を生きるかに分かれます。

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教会はキリストの電波を捉えて正確に神の御心を反映する電波時計のようなものです。

「そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた」
(エペソ1:22)

とあるように、キリストに合わせ、キリストをかしらとしていく時に、教会という共同体は愛の輝きを発します。

この世で人々に仕え、キリストの思いを互いの間で生かすようになるからです。

各人がそれぞれ持っていた価値観から、神の価値観が共有されるようになり、神の宝を受け継ぐようになるのです。

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一方、それとは反対に、神と無関係の世界を生きると基準がバラバラなので、人は横との比較を始め、自分の位置はあの人より上だとして安心を得ようとします。

弟子たちが誰が一番偉いかと論争をしたのもこのゆえです。

「弟子たちの間に、彼らのうちでだれがいちばん偉いだろうかということで、議論がはじまった」
(ルカ9:46)

現代日本ではそこまで露骨なことはしないでしょうが、「不幸自慢」という形態で出現しているのをよく見ます。

「あなた、苦労したと言ってるけど、あなたの苦労なんか私が味わったことに比べれば苦労のうちに入らないわよ」

そう言われたこと、あるいは言ったことはありませんか?

何十年ぶりかで同級会に出たS兄のお話です。

昔のやんちゃ坊主時代の気分に戻り、心許して話せる雰囲気だと感じたので、彼は自分の腎臓の病気の話を始めました。

透析の苦労、腎移植が失敗したこと等の話をしたところ、聞いていた一人が

「そんなの大したことない。俺は手術2回した」

と言いました。

するとその後ろにいた人が

「俺は3回!」

と言い出し、これには一同大爆笑する他なかったということです。

私が一番不幸。

神無き世界の行き着く先です。

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キリストをかしらとし、神の御心に合わせようとする教会では、そのような苦労話が始まると、

「それは大変でした」

「ご苦労なさったでしょう」

「何もできないけど、祈らせていただきます」

という愛といたわりの言葉が飛び交います。

キリストの霊によって一致しているからです。

このような世界に人は引き寄せられ、真の安息と平安を得るのです。

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神の電波時計としてスタートする今日として参りましょう。

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