今日のみ言葉【No.1685】(2018年 1月16日)「 償い(つぐない)」
しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さったのである。
(コロサイ1:22)
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「今日の御言葉メール」は毎日1000人近くの方々に送信されているので、時々誤返信のメールが届きます。
「じゃあ明日ね。(○○デパートでね)」
というメールを受け取った際には、すぐに誤送信であることを相手にお伝えし、お友達と連絡が途切れないようにさせていただいたことを覚えています。
かく言う私もメールの誤送信はあります。
先日も人違いをして、相手を1日待たせてしまいました。
ハッと気づいた時点ですぐにお詫びの連絡を入れ、ゆるしていただきました。
しかしそれは何の問題もなかったということではなく、相手の方が1日分の犠牲を払ってくださったので人間関係が維持されているということなのです。
神と人との間の問題では、キリストが犠牲を払って神と人との関係を正しくしたと聖書は述べています。
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聖書の世界では神の存在は自明で、最初から神様がいるという前提で話が進みます。
聖書の第1行目が
「はじめに神は天と地とを創造された」
(創世記1:1)
と始まっているのはこのゆえです。
神の存在証明は必要なく、この神と共にどう生きるかが人に問われています。
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さて、神は聖なる存在なので、一緒に生きるにはこちら側も「聖」でなければなりません。
それは神と同じように完全で、汚れも罪も傷もなく、100%純粋な状態であることを意味します。
あなたがそれを
「まさしく自分の姿だ。証明することもできる」
と言えるのなら、イエス・キリストを信じる必要はありません。
罪なき完全な状態なのですから、裁かれることなく天国に直行できます。
しかし、正直な人ならそんなことは言わないでしょう。
相対的評価なら、
「あの人に比べれば私はずっと良い人間だ」
と言えるでしょうが、
「生まれてからこのかた、一度も罪を犯したことも過ちをしでかしたこともありません」
と言った時点で嘘をついているか完全な誤解をしているかになるでしょう。
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この現実を知る時、人間は窮地に立たされます。
聖なる神は罪ある人間、すなわち私を絶対に受け入れないことが明らかになるからです。
そして人間には償いをする余地が残されていません。
なぜなら神が要求する償いの基準は
「罪の支払う報酬は死である」
(ローマ6:23)
とあるように、罪は命でもって償わなければならないからです。
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相手が支払い(神の場合は命)を要求し、こちら側(人間)に支払い能力がない場合、両者の関係は切れます。
これが「死」です。
誰かが「命」を差し出さなければこの関係は維持されません。
その償いのための命を差し出された方がイエス・キリストだと聖書は主張しています。
「しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さったのである」
(コロサイ1:22)
詳細は次回に続きます…。
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神との関係はキリストの十字架によって結ばれていることを覚える一日として参りましょう。
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