今日のみ言葉【No.1926】(2019年 1月25日)「ゲネサレでの癒し(1)」

2019年1月25日

人々はすぐイエスと知って、その地方をあまねく駆けめぐり、イエスがおられると聞けば、どこへでも病人を床にのせて運びはじめた。
(マルコ6:54-55)

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閉店間際のスーパーでは、お惣菜に値引きシールが次々と貼られます。

わざわざその時間に行って、

「3割引き?いや、こっちは半額だ!」

と得したと思って買っても、実は自炊のほうが安く上がって節約にはなっていなかったということがあるものです。

やはりなるべく自分でやることが節約生活のキーポイントのようです。

神様も私たちに自分たちでできることを与えられます。

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ガリラヤ湖畔の地ゲネサレの人々は、イエス様が来られたと聞いて、

「その地方をあまねく駆けめぐり、イエスがおられると聞けば、どこへでも病人を床にのせて運びはじめた」
(マルコ6:55)

とあります。

これは正しい態度だと言わねばなりません。

なぜなら、イエス様は

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」
(マタイ11:29)

と言っておられるからです。

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ただし、痛みが消失したり、病気が癒されることが福音の本質ではありません。

それは神の愛とあわれみによる副次的なものです。

ですから、癒しの祈りがなされても、癒される場合もあり、癒されない場合もあります。

また、医学によって治らなくても、信仰によって治ったというケースも少なくありません。

信仰によって病が治る場合もあり、治らないまま耐えなければならない時もあるのです。

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では、なぜイエス様は

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい」
(マタイ11:29)

と言われたのでしょうか?

その後の言葉に答があります。

「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」
(マタイ11:29-30)

魂に休みが与えられるため、そして、荷を軽くしてもらうためです。

キリストの福音を信じるということは、あなたが負っている重荷を、あなたにふさわしい方法で、正しく解決されることなのです。

ですから、積極的に重荷はイエス様にゆだね、逆にイエス様からゆだねられる軽い荷を負わせていただきましょう。

その時、

「この荷だったら私はつぶれることはない。最後まで負いきれる。なぜならイエス様が私のそばでこの重荷を共に負っていて下さるから」

と心に平安をいただきながら人生の旅路を歩むことができるのです。

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「重荷」でなく「軽荷」を負う今日として参りましょう。

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