今日のみ言葉【No.1677】(2017年12月28日)「 愛の横糸」
そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。
(使徒2:42)
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中島みゆきさんの『糸』という歌は、世代に関係なく広くカラオケで歌われている人気の曲です。
「縦の糸はあなた 横の糸は私」
「織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない」
知人の結婚を祝うために作られた歌だそうですが、愛で結ばれた関係はやがて誰かをその愛で暖めうるという希望が感じられます。
人間が人との暖かい交流によって力づけられるのは時代に関係なく同じです。
初代教会においてはまさにそれが彼らを支えるものとなっていました。
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イエス様は人のかたちをした神ですが、人間として生きられたので、私たちと同じように人との交わりを必要とされました。
「イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた」
(ヨハネ11:5)
ベタニヤでの親しい友と過ごす時間はイエス様を元気づけたのです。
父なる神との関係を強くしさえすればよいという考え方もありますが、現実の神の御心はそれだけではないようです。
神は人間と人間との間の横の交わりを与えられ、集まれ、集え、と奨励しています。
「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか」
(ヘブル10:25)
ここに教会が存在する目的のひとつがあります。
父なる神様との縦の関係、そして、クリスチャン同士の交わりという横の関係。
この縦糸と横糸とで織りなされた布が信仰生活であり、人を暖め、力づけるものとなるのです。
初代教会のクリスチャンたちが迫害という試練にめげずに御言葉を宣べ伝えていった原動力はもちろん聖霊の力です。
それに加えて
「そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた」
(使徒2:42)
という愛の交わりが彼らに力を与えていたのです。
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戦後まもなくの頃のお話です。
鉄道自殺を図ったI姉は未遂に終わり、一命を取りとめましたが身体に大きな障害を持つ身となりました。
その話を伝え聞いた教会の牧師は、I姉を訪問し、キリストの救いを説きました。
子供の頃、日曜学校に行き、楽しい思い出と共に蒔かれていた御言葉の種が芽を吹き出し、彼女はまもなく洗礼を受けてクリスチャンとなりました。
I姉は後に証しでこう語っておられます。
「死ぬことが一番良いことだと思っていたが、イエス様を信じて、死をとどめてくださって、『生きていくんだよ』とイエス様が直接私に話しかけてこられたような気持ちになった」
「イエス様からそう言われたら、『私は死ぬことできないんだなあ』と思って、今度は生きることを考えて、一生懸命になった」
牧師の訪問、そして教会員の祈りによって彼女は支えられました。
また、教会のある人はリヤカーを引いてI姉を乗せ、送り迎えしたこともあったそうです。
説教中は真剣なお顔で御言葉に耳を傾け、礼拝後はニコニコした笑顔で皆さんと話し、共に祈り祈られ、そして帰りにはおんぶしてもらって車の中に乗り込むI姉の姿が今でも思い浮かびます。
彼女は存在しているだけでキリストを証ししていました。
神への祈り、そして人との交わりによって強められたI姉は、長寿を保ち、天に凱旋されました。
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人は人との交わりによって力づけられます。
祈り祈られ、愛の交わりを持つ一日として参りましょう。
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