今日のみ言葉【No.1637】(2017年10月28日)「ここで祝福となる」
わたしがあなたがたを捕え移させたところの町の平安を求め、そのために主に祈るがよい。その町が平安であれば、あなたがたも平安を得るからである。
(エレミヤ29:7)
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『置かれた場所で咲きなさい』は渡辺和子先生の名著です。
本の内容紹介にはこうあります。
「時間の使い方は、そのままいのちの使い方です。自らが咲く努力を忘れてはなりません。雨の日、風の日、どうしても咲けないときは根を下へ下へと伸ばしましょう。次に咲く花がより大きく、美しいものとなるように。」
今置かれた所は神から与えられた私の居場所で、ここで私が今花を咲かせることができなくとも良い、次に咲く花のために根を深く下ろすことが私の役目、と目が開かれればそこは天国の直営所となります。
バビロン捕囚の民も、今いるその土地で祝福となるようにと神から命じられていました。
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神は霊的にも倫理的にも堕落した状態にあったイスラエルの民を裁き、新たに清められた民として生まれ変わらせようとされました。
そのために、「審判の霊と滅亡の霊」という表現で表される苦しみを与えると宣言されました。
「そして主が審判の霊と滅亡の霊とをもって、シオンの娘らの汚れを洗い、エルサレムの血をその中から除き去られるとき、シオンに残る者、エルサレムにとどまる者、すべてエルサレムにあって、生命の書にしるされた者は聖なる者ととなえられる」
(イザヤ4:4)
また、
「わたしはまた、わが手をあなたに向け、あなたのかすを灰汁で溶かすように溶かし去り、あなたの混ざり物をすべて取り除く」
(イザヤ1:25)
とあるように、不純物が取り除かれた純粋な「残りの民」の存在を預言しました。
そして実際バビロン捕囚になった時、すぐに故国へ帰還することはできないからここで祝福となり、置かれた場所で咲きましょうと言った者が正しい預言者となり、いやすぐにでも帰れる、と悔い改めなしのメッセージを語り、神の御心を正しく捉えなかったものが偽預言者となりました。
神の回復の約束は必ず果たされます。
しかしその前に、苦難を通らされる時、その苦難自身が持っている目的が達成されて初めてその中を通り抜けられるのです。
イスラエルの民の場合、それは彼らが神に心を向け直し、清められることでした。
そしてその後の花咲く時代のために、今は信仰の井戸を深く掘り、後になって命の清水を豊かにまくことができるようにすることがその時代の過ごし方だったのです。
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今あなたがどんな状況の中にいようとも、天を見上げる者には神は祝福を与えてくださいます。
その祝福はあなたが望むものとは一致しないかもしれません。
しかし、置かれた場所で精一杯、あなたなりに祝福となっていこうと決心する時、神は必ずあなたが分かる方法で御手の働きを示してくださいます。
あなたの周りの平安を祈り、ここで祝福となる、と決めて一歩踏み出す一日として参りましょう。
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