今日のみ言葉【No.1638】(2017年10月30日)「 神の審判」
あなたがたは刑罰の日がきたなら、何をしようとするのか。大風が遠くから来るとき、何をしようとするのか。あなたがたはのがれていって、だれに助けを求めようとするのか。また、どこにあなたがたの富を残そうとするのか。
(イザヤ10:3)
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中高年を過ぎると男女共に出てくるのが尿トラブルです。
特に尿もれや夜間の頻尿は生活の質に直結する問題です。
人知れずそのような症状に悩む人が泌尿器科に行っても、こちらが期待するほどの懇切丁寧な対応はまず無いと思った方が良いでしょう。
なぜなら医者は命を救うことを第一としているので、優先順位はガンかどうか。そして尿が出ないと人間は死んでしまうので、その点はどうかに注意が向けられるからです。
そこで多くの人は早めに何回もトイレに行くという予防手段を講じますが、実はこれがなおさら症状を進ませるのだそうです。
正解は「できるだけ貯める」そして「お尻の穴を引き締める」です。
詳細はNHKの健康番組「ガッテン!」のサイトでお確かめください。
(http://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20161019/index.html)
4週間で多くの人に効果が現れ、3か月で症状の改善が期待できます。
後は「やるか、やらないか」です。
神の審判の預言に対しても同じです。
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旧約聖書が読みにくく、とっつきにくいのは、まず私たち日本人が遠い中東の国イスラエルの歴史を知らないからです。
と同時に、今日の聖句のような恐ろしい裁きの記述が至るところに現れるので、読むのに抵抗を感じることも大いにあります。
なぜ神はこのような審判を下すのでしょうか?
善人も悪人も皆死んだら自動的に天国に行ってワイワイ仲良くやればいいのではないでしょうか?
しかし、甘やかしがどんなに人をダメにするかは、あなたもこの世の多くの例を見てお分かりのことでしょう。
神はスパッとある所で線を引き、断罪なさいます。
正義を守り、少数者の悪が多数の者の祝福を奪うことを許しません。
神の裁きには、もうそれ以上悔い改めのチャンスが残されないという否定的側面と命を守るという肯定的面があるのです。
神は愛するがゆえに裁かれます。
神の審判は必ずあること。終わりの裁きの日は必ず来ること。
それを知って今日どう生きるか。
その選択があなたの未来を決めます。
「神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう」
(ローマ11:22)
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「恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい」
(ピリピ2:12)
神の愛ゆえの裁きを受け入れ、今日も神に畏敬の念を持って慎み深く生きて参りましょう。
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