今日のみ言葉【No.1595】(2017年 8月26日)「 自由意志で選ぶ」

アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住み、天幕をソドムに移した。
(創世記13:12)

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お恥ずかしい話ですが、この夏受けた健康診断の結果、中性脂肪の値がグンと跳ね上がったので、ホームドクターから

「食事の量を減らし、3ヶ月後に血液検査をして治療方針を決めましょう」

と言われ、現在食事制限中です。

幸か不幸か、家内は元看護師なので食事の度毎に厳しいチェックが入ります。

食べたいものを食べたいだけ食べる…、ということができる時代は終わったのです!

どれをどのくらい、いつ食べるか、自分で選択して食べなければならない年齢となりました。

人間の自由意志で霊的思いと肉的思いのどちらを選ぶか。

それはアブラハムとロトに課せられた神からの試験でした。

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神に選ばれた人たちは、次に自分の自由意志で神の御心を選ぶ場面に出会います。

それは不意に行われる抜き打ち試験のようなものです。

あくまで自然に自分の意志が露わにされ、その結果によって神の祝福を受け継ぐ者が定められていきました。

アブラハムとロトの場合、あまりにも神の祝福が注がれたため、

「その地は彼らをささえて共に住ませることができなかった。彼らの財産が多かったため、共に住めなかったのである」
(創世記13:6)

という事態になりました。

そして下々の者たちの間で小競り合いが起こります。

「アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちの間に争いがあった」
(創世記13:7)

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アブラハムは争いを避けるため、次のような提案をしました。

「どうかわたしと別れてください。あなたが左に行けばわたしは右に行きます。あなたが右に行けばわたしは左に行きましょう」
(創世記13:9)

本来は連れて来るべきではなかったロトと離れる決心をしたのです。

そして、アブラハムは今後の生活のしかたを彼の自由意志に任せました。

この時が二人にとって神の試験だったのです。

神に選ばれた者として祝福の基となることを選ぶか、自分の欲望達成の方を選ぶか。

ロトの目は初めから後者の方を向いていました。

「ロトが目を上げてヨルダンの低地をあまねく見わたすと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったから、ゾアルまで主の園のように、またエジプトの地のように、すみずみまでよく潤っていた」
(創世記13:10)

彼は目に見える豊かな土地を自由意志で選びました。しかしそこには悪名高きソドムとゴモラがあったのです。

アブラハムが得たのは緑潤う低地とは反対側の山地の岩場の方です。

頼るのは神のみの地です。

霊的な人とは最初から霊的能力が優れていたのではありません。

永遠の神との霊的交わりが密接になされ、あるいは強制的にでも頼らざるを得ない状況に追い込まれ、そこで強くされた者が霊的な人となっていくのです。

その分岐点が、霊と肉のどちらを選ぶか、ということなのです。

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さて、

「私はロトの方だなあ…」

と思ったあなたは、すでに神の試験に突入しているということです。

そう思った次の瞬間に、

「だから祝福を失うんだなあ」

と嘆いてため息をついてしまえば、霊の道から外れたことになります。

その時に

「だからイエス様が十字架につかれたんだなあ」

と思うことがアブラハムの祝福を受け継ぐ道なのです。

ロトとはまさしく自分のことで、霊的なものより自分の欲が満たされる都合の良い方を選んで結局は元も子もなくしてしまう自分。

その失われた私を探しだして救うためにイエス・キリストはこの地上に来られました。

「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」
(ルカ19:10)

このイエス様にすがる恵みは旧約時代にはありませんでしたが、新約時代にはあるのです。

ですから、

「すいません、もう私の力ではできません。神様よろしくお願いします」

とイエス・キリストが自分の罪の身代わりとなって十字架で死なれたことを信じ、お任せする時、救いが与えられます。

ただしその後の人生は緑潤う地ではなく、アブラハムのように岩場であるかもしれません。

しかし、神に祈り、神に頼りながら歩む人生となることは確実です。

平安な人生、自分自身を確かに生きていると感じられる人生とはそうやって始まっていくのです。

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今日が神の試験日かもしれません。

あなたの意志でイエス・キリストの赦しを選んでいく一日として参りましょう。

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