今日のみ言葉【No.1248】(2016年 3月18日)

わたしはこれがために嘆き悲しみ
(ミカ1:8)

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東日本大震災、そして原発事故から5年がたちました。

この間、直接的に放射線で亡くなった人は一人もいませんが、原発事故の影響で退去を余儀なくされ、環境の変化によって体調を崩して亡くなられた方が多くおられます。

旧ソ連のチェルノブイリ事故後の調査でもこのことは指摘されていました。

自分から新天地を求めて移転するのなら逆に希望に満ちあふれるのでしょうが、自分の意図に反し、強制的に違う環境に入れられることは、人にストレスをもたらし、その結果として様々な体調不調が出てきます。

預言者ミカも、生まれ故郷を喪失する体験を持っている人でした。

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ミカの出身地はモレシテという農村です。

大国アッスリヤがこの町を占領したので、ミカはエルサレムに移り住まねばなりませんでした。

慣れ親しんだ土地、平和な環境を奪われる悲しみを味わった人。それがミカでした。

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彼が預言活動をした時代のイスラエルは、神の言葉を無視し、逆らい、忘れ果て、自分の益になりそうな他の神々に走っていました。

その罪のゆえに、せっかく神様から与えられた土地だったのに、イスラエルは国を失うことになります。

他国の侵略によって無理やり奪われるのならまだしも、自分たちのせいでむざむざと神の祝福を手放すことは、過去の痛切な体験を持つミカにとっては耐え難いことでした。

「わたしはこれがために嘆き悲しみ」
(ミカ1:8)

とはミカ自身が味わった悲しみであり、と同時に、神ご自身が味わわれた愛するイスラエルに対する悲しみを代弁したものでしょう。

神は、期待に背き、自分勝手な振る舞いに終始していたイスラエルに対し、何度も悔い改めのチャンスを与え、預言者たちを通して警告を繰り返しました。

しかし、彼らは神の言うことを聞かず、自分の思いのままの方向にどんどん進んでいきました。

ブレーキの効かない車がスピードを上げて走って行ったら、どこかに衝突して大破してしまいます。

人間の自由意志を尊重される神は、あえてそれを見つめる他なさいません。

衝突、つまり滅亡という現実を神は共に味わい、悲しみと嘆きを一緒に体験されたのです。

この嘆きと悲しみを共に味わって下さる神を信じ、頼りとしていく時、あなたならではの神の祝福の実を結んでいくことができます。

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花子さんは

「私、頭が悪くて、聖書のことがよくわかりません!」

と明るく話してくれるクリスチャンです。

ある日の礼拝説教で、さも難しそうな顔をして熱心に聞いておられるので、終わった後、

「今日のメッセージはいかがでしたか?」

と聞くと、

「良かったです!恵まれました!」

と元気良く言われます。

集中して聞いていたように見えるので、

「何が一番の収穫だったですか?」

と聞くと、

「全部です!」

とおっしゃいます。

「その中でもとりわけ良かったところは?」

と続けて尋ねると、

「う〜ん、…」

と言って言葉に詰まります。

つまり、どのポイントが自分の特定のこの問題の解決につながった、などという論理的・分析的な聞き方をしていなかったということです。

では分かっていなかったのかというとそうではありません。

花子さんは感情面が豊かな人です。

ですから、彼女の判断の基準は

「こうしたら喜ぶだろうな」

「こんなことを言ったら、きっとこの人は悲しむだろうな」

なのです。

感情とは非論理的なものですから、それを当てにすると危険な面がボロボロ出てきます。

しかし花子さんの判断は結構的確です。

時に、論理的・分析的アプローチを超えた範囲で、ズバッと見えない核心をつかんで、適切な対処をすることがあります。

彼女は多くの失敗、恥をかいた体験、心が傷つく出来事を豊富に味わったおかげで、人の嘆きと悲しみが手に取るようにわかり、それに共感できるので、正しい判断が瞬時にできるようになったのでしょう。

花子さんはまさに神の愛と悲しみを体現した癒しの器として、今、生かされているのです。

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全てに意味を与えて下さる神と共に今日も歩んで参りましょう。

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