今日のみ言葉【No.1594】(2017年 8月25日)「 この世との分離の時」
あなたはわたしの国へ行き、親族の所へ行って、わたしの子イサクのために妻をめとらなければならない
(創世記24:4)
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今年の私のガーデニングの結果は、カボチャとトマトが大収穫でした。ナスが例年並み。キュウリは不作です。これは来年の課題です。
毎年思うのは、種から育てようとしたらとてもこうは行かないな、ということです。
発芽に適した環境の中で守られ、外部の環境でも耐えられる苗まで成長した段階で出荷され、それを私が畑に植えます。
初期の段階では特別に保護され、強さを持つまで外部からは隔離される時が必要なのです。
イスラエルも同じでした。
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アブラハムは我が子イサクの嫁選びの大役を最も信頼できる最年長のしもべに託しました。
その時の命令がこれです。
「あなたはわたしの国へ行き、親族の所へ行って、わたしの子イサクのために妻をめとらなければならない」
(創世記24:4)
嫁となる女性は親族から選ばなければならない、という条件付きでした。
健康面、性格面の指示はなく、同じ種族から選びなさいということだけです。
その前の節で
「あなたはわたしが今一緒に住んでいるカナンびとのうちから、娘をわたしの子の妻にめとってはならない」
(創世記24:3)
とまで言われていますから、この点はかなり強調されていたのです。
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信仰の初期の段階では、この世と分離される時が必要なのです。
もちろん後になれば積極的にこの世に出て行って神の祝福を分け与える使命があります。
しかし、信仰の基礎が固まるまでは外部の価値観を入れず、純粋に神と自分という縦の関係作りに精を出す時期が必要です。
安全で清潔な環境で種から発芽し、十分に生育した強い苗になるまで外部の世界とは分離せよ、というのが神の御心でした。
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私にとってそれは教会の寮であるニコニコ寮生活でした。
献身してからの寮生活では、一切のテレビ、新聞の情報は入らない生活となりました。
別に禁止されたわけではありません。触れる機会がなかっただけです。
それはちょうど沼から釣り上げられた鯉が井戸水の入った桶の中で泳がされるようなものです。
一切の食物が与えられない鯉は、きれいな井戸水を飲むだけです。そしてその中で数日間滞在します。
釣った直後は泥臭くて食べられないからです。
やがてこの世の泥が一切吐き出された後に、網ですくい上げられ、まな板の上に載せられます。
まさに「まな板の上の鯉」です。
ピクリとも動かず、神の御手によって綺麗に調理されるのです。
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この世と聖別される時は必要です。
神による純粋な養いの時を持つ今日として参りましょう。
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