今日のみ言葉(2011年5月25日)【No.66】
「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。」
(第1コリント13:4)
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第1コリント13章は、愛の章として有名です。「新約聖書の富士の高嶺」と表現する方もおられるほどです。
ある時、中高校生の集まりで、「愛は○○である」の○○に当てはまる言葉を書けという問題を出したことがありました。
「愛は永遠」、「愛は美しい」、「愛は絶望(?)」など様々な名解答・珍解答が寄せられましたが、誰一人として「愛は寛容」という定義を出した人はいませんでした。聖書の神の愛の定義は、人間の私たちが考えるものとは大分異なるようです。
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寛容というギリシャ語の語源は、「怒りから遠い」、です。大目に見てあげるということではなく、「他人からの侮辱や、人から傷つけられることにじっと耐えること。なかなか復讐しないこと。辛抱強く、怒るのに遅く、罰するのに遅いこと」なのです。
つまり、愛は寛容とは、あなたが愛するその人から傷つけられてもじっと耐え、その人の可能性を信じながら愛することをやめない強さを持った愛なのです。この愛でもって人を愛せ、と言われたら、それこそ絶望です。人間にはこの愛はないからです。無理して愛そうとすれば必ず限界の壁に突き当たります。神からこの寛容の愛で愛され、実体を味わった後の結果として、私たちの中にもこの愛がいつか育まれているのを知るのです。
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母モニカの祈りによって改心したとされる聖アウグスティヌスの研究を読むと、彼は16歳の時に同棲を始め、31歳の時、出世のため身分の低いこの女性と別れ、周囲が勧める人と結婚することになります。
第1の女性は夫の出世のために身を引きます。彼女は子供を残し、他の男性と結婚はしないと貞潔を誓い、故郷のアフリカに帰った後、修道女として一生を過ごしたとされています。
第1の女性と別れた後、社会的に認められた許嫁(第2の女性)と結婚する前に、実はアウグスティヌスは第3の女性と関係を持ってしまったことが、その著『告白』に文字通り告白されています。おそらく彼がこの本を記す中、一番汗だくになって書いた所でしょう。
自分に尽くしてくれ、自分のために身を引いて、しかも永遠の愛を誓ってくれたにもかかわらず、肉欲に負け、その人を裏切ってしまった自分の罪にアウグスティヌスは身悶えます。
彼が真の意味でキリスト教に急接近したのは、この時なのです。
周りの人の愛を裏切り、誠実に人を愛しきることの出来ない自分に絶望したその時、それでも自分を捨てず、その罪のために十字架で代わりに犠牲になって下さったキリストの寛容の愛が彼を救ったのです。
アウグスティヌスが初期キリスト教の偉人となったのは、この体験があったからに他なりません。
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あなたもこの神の寛容の愛で愛されています。
神の愛に満たされ、更なる愛の人へと変えられつつ歩んで参りましょう。
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