今日のみ言葉(2011年5月24日)【No.65】
「あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」
(ヨシュア記24:15)
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「仕える」は英語でserve(サーブ)。これが名詞となるとservice(サービス)「奉仕」となります。つまり、誰かのために「尽くす」ということです。
仕える者を選ぶための基準は、「自分はその人に心から尽くすことができるか」ではないでしょうか?
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今日の15節の前の部分、1~14節まで、神がいかにイスラエルを愛し、それが言葉だけでなく、豊かに収穫できる土地を与え、全てに渡ってイスラエルの民に「仕えて」きたかが述べられています。
人間が神に一生懸命尽くし、その出来高によって神が人間に報いるというのではないのです。神の方から人間に尽くし、
「さあ、あなたはどうしますか?誰のために自分の命を使い、どなたと人生を共に歩こうとしていますか?自由に選んで下さい」
と、選択の機会を与えているのです。
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明日の午後5時~7時、山形県内では節電の社会実験が行われます。たった2時間ですが、「夕方のあの時間は少々キツイなあ…」と思ってしまいました。
しかし、宮内庁の発表によると、天皇皇后両陛下は、3月15日から4月30日までの47日間、自主的に電気の使用を控えられた「自主停電」を行っておられたそうです。
現在はそれをやめ、節電を心がけた通常の生活に戻っておられますが、2時間でも不自由を感じる私はお二人に敬意を感じたニュースでした。
天皇制や憲法論議をするつもりはありませんが、犠牲を払う必要のない方があえて犠牲を払って不自由を共にして下さるということに、人はなにがしかの感動を覚えるのではないでしょうか。
まして、自分のために命を捨てて下さった方なら、その方のために自分の人生を捧げていきたいと人間は思うのではないでしょうか?
神の御子イエス・キリストが十字架について下さったという事実は、私たち人間に示された究極の神の愛であり、命を賭けて私たちに仕えて下さったことを意味します。
この愛にどのように応えるか、それはあなたの選択です。
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ヨシュアは言いました。「ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」
今日も私たちの神、主に仕えて行きましょう。
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