今日のみ言葉【No.1527】(2017年 5月12日) 081 「イエスを捕らえに来た人々」(2)
しかしイエスは、自分の身に起ろうとすることをことごとく承知しておられ、進み出て彼らに言われた、「だれを捜しているのか」。
(ヨハネ18:4)
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無防備のイエス様が前に進み出て、「わたしが、それである」と言われたとき、彼らは後ずさりしてその場に倒れてしまいました。
「イエスが彼らに『わたしが、それである』と言われたとき、彼らはうしろに引きさがって地に倒れた。」
(ヨハネ18:6)
イエス様の圧倒的な権威と神の力によって彼らは倒されてしまったのです。
ここでは、どのようにしてそうなったのかという科学的証明については記されていませんが、あまりにもサラリと書かれているので逆に真実味が伝わってきます。
イエス・キリストにはこのような力があったのですから、屈強な兵士たちが何百人で取り囲んだとしても、彼らを吹き飛ばしてそこから立ち去ることなどいともたやすくできたはずです。
ところが、そう出来る力を持ったお方が、身を隠そうともせず、自ら進み出て自分を現し、彼らにおとなしく逮捕される選択をなさいました。
それは
「自分の身に起ろうとすることをことごとく承知しておられ」
(ヨハネ18:4)
という部分がキーフレーズとなります。
イエス様は神の御心を知っておられ、その御心に従順に従うようになさったのです。
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あなたは神の御心に従おうと決心しておられますか?
クリスチャンの方なら
「はい、もちろんです。神様の御心でしたらその通りに従います」
とおっしゃるでしょう。
では、イエス様のようにこれから起きる出来事が全てわかっていたとして、それらを全て素直に「はい」と受け取ることが出来るでしょうか?
これは意地悪な質問かもしれません。
私の例をあげると、18歳の時に盲腸の手術をしました。
朝から腹痛を訴えていた私に下宿の医学生が早めに気づいて、すぐ入院・即日手術という段取りを取ってくれたので大事には至りませんでしたが、後で「丸山君、実は危なかったんだよ」と言われ、ゾッとしました。
今まで2度交通事故に遭いました。1度目は赤信号見落としの車から衝突され、2度めは5台の玉突き事故の中で、前と後ろの車からグシャッと挟まれました。
これらのことが全て事前に分かっていたとして、
「こういうことが起きるのも全て神の御心なのだから受け入れるよね?」
と念を押されても、果たして
「はい、もちろんです。神様の御心でしたらその通りに従います」
と即答できるかどうか疑問です。
まして、
「しかしイエスは、自分の身に起ろうとすることをことごとく承知しておられ、進み出て彼らに言われた、『だれを捜しているのか』。」
(ヨハネ18:4)
というイエス様のように自分から「進み出て」などできるはずがありません。
何としてもそうならないように逃げまわり、命乞いをし、神のあわれみを求めて
「御心の通りになりませんように!」
とひたすら祈り続けることでしょう。
そこに、神の御心に従順なイエス・キリストと私という人間の明確な差があります。
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その私がそのままで愛され、救われているということに気づくことがポイントなのです。
神の御心を従順に実行するのが本来の生き方なのに、自分に都合の良いところは受け入れ、都合が悪い部分は受け取らないですむように放っておこうとする自分。
その私の罪のため、身代わりとなって十字架に「進み出て」行かれたイエス・キリスト。
その愛と罪の赦しの約束をそっくりそのまま受け取り、その恵みを味わうことがまずなすべき重要なことです。
自分の行動を変えようとする動機は素晴らしいのですが、それはまず後にとっておきましょう。
まずは恵みに浸り切ること。
その時間が私たちの人生を変えていきます。
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キリストの従順によって私たちに与えられている神の恵みを、十分に味わい尽くす今日として参りましょう。
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