今日のみ言葉【No.1526】(2017年 5月11日) 081 「イエスを捕らえに来た人々」(1)
さてユダは、一隊の兵卒と祭司長やパリサイ人たちの送った下役どもを引き連れ、たいまつやあかりや武器を持って、そこへやってきた。
(ヨハネ18:3)
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海外旅行の必需品であるスーツケース。
初めての海外旅行だという人のスーツケースは間違いなく大型で、しかもパンパンに膨れ上がっています。
Tシャツも入れ厚手のコートも入れ、梅干しも粉末味噌汁も、あれもこれも、念のため…。
何がどうなるかわからないので恐れが先行し、過重装備となるのも仕方ありません。
その点、旅慣れている人は小型で軽量のスーツケースをコロコロと転がして空港内を颯爽と移動します。
必要最低限のものだけ揃え、アクシデントが起きても対応できる知恵と知識を持っているからです。
恐れのない人は身軽ですが、恐れを持っている人は重い荷物を自分から背負い込む人生を生きています。
イエス様を捕らえに来た人々は武装した大部隊でしたが、恐れがそうさせたと言わざるを得ません。
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過越の食事の後、イエス様は祈るために弟子たちを連れてゲッセマネの園へ行きました。
そこにユダに導かれた兵隊たちがやって来ました。
「さてユダは、一隊の兵卒と祭司長やパリサイ人たちの送った下役どもを引き連れ、たいまつやあかりや武器を持って、そこへやってきた。」
(ヨハネ18:3)
一隊の兵卒とはローマ兵のことです。少なく見積もって数十人から百人はいたでしょう。
下役どもとはエルサレム神殿を警備する者たちです。
彼らは「たいまつやあかりや武器を持って、そこへやってきた」とあります。
無防備の一人の人間を捕らえるために武装した一隊の兵士たちがやって来るということには、どのような心が読みとれるでしょうか。
それは恐れです。
恐れを持ち、万が一にでも被害を受けないように重装備し、自分を守ることに専心してやってきた人たち。
それがイエス様を捕らえに来た兵隊たちの姿でした。
彼らはこの後、真のイエス様との出会いを体験します。
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教会にもガチガチの重装備で心を覆い尽くしてやって来る方々がおられます。
「絶対にだまされないぞ。洗脳されてたまるものか」
「音楽コンサートだから来たのよ。神様の話はいらないわ」
体はガチガチコチコチ。警戒心満載の目。
ご自分をライオンに食べられそうな小鹿とでもお思いなのでしょうか…。
それも致し方ありません。過去の失敗や痛みを伴った体験を通して、人は学び、二度と同じ目に遭わないように備えるからです。
しかし、このような方々こそ、後に勇敢な信仰者となることを私は見てきました。
現実に神の愛にふれると、自分が想像していたこととのあまりの落差に驚き、その体験がその人を前に進ませる強烈なエネルギーとなるのです。
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後に教会の役員となったY兄がそのような方でした。
彼は英会話クラスの生徒さんとして教会に来られました。
クラスが終わった後のコーヒータイムで、Yさんは教会スタッフと議論を戦わせるのが常でした。
神が愛ならなぜこんなことがあるのか。歴史上の十字軍は。キリスト教国と言われる国が戦争をし、こんな事態になっている等々。
臆病な私は神学生であるにもかかわらず遠巻きに見ておりました。
「もういい加減早く帰ってくれないかなあ…。明日の早天祈祷会もあるし、睡眠時間が…」と恐れる私は、これみよがしに会堂の窓をバタンバタンと音を立てて閉めるのですが、一向にその勢いは止まりません。
私の自己中心の妨害にもかかわらず、夜遅くまで伝道の時は続きました。
今思えば、すでにYさんは教会で神の愛に出会っておられたのです。
ただそれがあまりにもまぶしく、普通体験するものとは違うので、本当のものか確かめる作業をしておられたのでしょう。
一つ一つ、これはどうか、あれはどうか…。
彼は強烈なキリスト教反対者に見えましたが、内実は真実な求道者だったのです。
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私が「この人は本物だ」と思ったのは、Y兄が洗礼を受ける少し前の時です。
教会側の手違いで、講演会に来られた一部の方々に謝らなければならない事態になりました。
私が「申し訳ありませんでした」と言うのは当たり前のことです。
ところが、その時はまだ正式に教会員ではなかったYさんが私の前に飛び出し、「申し訳ありませんでした」と腰を低くして頭を下げ続けてくれたのです。
後で私が
「Yさん、ありがとう。でも、まだあなたは洗礼を受ける前で、教会スタッフというわけでもないのですから、何もそこまでする必要はなかったはずですが…」
と申し上げると、彼は、
「いえ、自然に身体が動いていました。一緒にお手伝いさせてもらっているのですから当然でしょう」
と、にこやかな笑顔で語って下さいました。
一緒に進んで泥をかぶってくれるY兄の姿に、私はキリストの強さが与えられた彼の真の姿を見たように思いました。
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神の愛は恐れる者を勇者へと変えてくださいます。
今日も信頼を持って神との出会いを果たして参りましょう。
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