今日のみ言葉【No.1513】(2017年 4月 8日) 076 「イエスに足を洗ってもらった弟子たち」(2)
「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」
(ヨハネ13:7)
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これはジョークです。
ゴルゴ13が殺害の依頼を受けた。ターゲットは牧師。
成功報酬が超高額で有名な彼だったが、今回はほとんどタダ同然で引き受けた。
驚いた依頼者が彼に尋ねた。
「武器は何を使うのかね?」
すると彼は
「何も使わない。その値段は献金の分だ」
と冷たく答えた。
そして珍しくニヤリと笑い、こう続けた。
「牧師殺すにゃ刃物はいらぬ。あくびの一つもすればいい」
(説教中に寝られると、牧師は本当にドキッとするものなのですよ〜(^_^;))
理解されないところで神の御心を行い続けることは本当に大変なことです。
イエス様が弟子たちの足を洗うという行為を、彼らは理解できないでいました。
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その時の弟子たちの状態はどうだったのでしょう?
イスカリオテのユダは、悪魔に心を奪われていました。
イエス様を銀貨30枚で祭司長たちに売り、裏切ろうとしていました。
また、ほかの弟子たちは、誰が一番偉いかと論争をしていました。
つまり、誰一人として、イエス様の思いを理解する者はいなかったのです。
そのような中にあって、
「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。
(ヨハネ13:7)
と言いながら、イエス様は黙々と弟子たちの足を洗われました。
足を洗うとは、汚れをきよめることを表しています。
イエス様は、十字架において私たちの汚れ(罪)をきよめて下さいました。
洗足の行為はそのことを示しています。
イエス様に足を洗っていただいて初めて、キリストとのつながりが出来るのです。
「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」
(ヨハネ13:8)
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私は就職が決まった高校3年生のクラスで英語を教えたことがあります。
卒業資格を満たす単位取得のためという理由はありますが、彼らにとっての英語の授業は、ほとんど無意味で退屈な時間でした。
騒ぐ、遊ぶ、寝ている。
私は若かったので、叱り、怒鳴り、説得しましたが、一時的効果があっただけで、5分もたてば前と同じ状態です。
そのうち、こういう誘惑が心にやって来ます。
「まあいいか、給料もらってる分だけやれば…。授業時間の50分、聞いているいないに関係なく、教える役割を果たせばいいか。後は彼らの責任だし…」
このへんが人間の一つの限界なのではないかと思います。
このような自分の限界にぶつかり、現実から逃げるためにあれこれ言い訳を考え、再チャレンジしてもまたダメだった自分を正当化しようとした人は、イエス様と自分の違いに気づくことができます。
「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」
(ヨハネ13:7)
「世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。」
(ヨハネ13:1)
理論理屈抜きで「イエス様は神だな」と思えます。
あなたが自分の限界にぶつかり、あってはならない思いが湧いてくるのを容赦なく見せられる時。
それはいよいよ神があなたと会ってくださる時が間近に迫っている時なのです。
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イエス・キリストは、あなたがどんな状態でも最後まで愛し通されるお方です。
その方に出会うまでに自分の罪の姿を見せられます。
そのひと山を越え、キリストとの出会いを果たす今日の準備をして参りましょう。
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