今日のみ言葉【No.1512】(2017年 4月 7日) 076 「イエスに足を洗ってもらった弟子たち」(1)

過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。
(ヨハネ13:1)

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「ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」

これは平安時代の歌人、在原業平(ありわらのなりひら)の辞世の句です。

日本の元祖イケメンと言ってよいほどの美男であり、技巧を駆使した作品を生んだ彼にしては意外なほどストレートに自分の心情を表現しています。

死が間近に来ていると悟った時、人の思いや行動はどうなるのでしょうか。

ヨハネ13章に見るイエス・キリストは、弟子たちを最後まで愛し通す姿です。

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ヨハネによる福音書第13章には、最後の晩餐(過越の食事)の出来事が記されています。

人は最後に何を残そうとするのでしょう?

自分の死が近いと知ったなら、一番重要なことを残そうとするものです。

イエス様は地上の歩みの最後の段階で、「愛とは何か」ということを弟子たちに残そうとされました。

「過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。」
(ヨハネ13:1)

具体的にそれは、先生であるイエス様が弟子たちの足を洗うという行動でした。

「弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。」
(ヨハネ13:5)

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この「弟子たち」の中には、イスカリオテのユダも含まれています。

ユダとはあの裏切り者のユダです。

イエス様が弟子たちの足を洗う直前、

「夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた」
(ヨハネ13:2)

とあります。

しかもイエス様はユダがこれから自分を裏切ることを知っておられました。

「イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに言われた、『よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている』。」
(ヨハネ13:21)

イエス様は他の弟子たちだけでなく、このユダをも

「最後まで愛し通された」
(ヨハネ13:1)

のです。

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イエス・キリストの愛の極みは、次の一句に集約されていると私は思います。

「この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、『しようとしていることを、今すぐするがよい』。」
(ヨハネ13:27)

「しようとしていることを、今すぐするがよい」という言葉は、

「お前はもうダメだ。サタンの虜になってしまったのだもの…。もう何を言っても私の言うことをきかないんだろう?だったらさっさと自分の好きなことをやってしまえ!」

というような諦めとは違います。

「しようとしていることを、今すぐするがよい」とは、ユダの意志を尊重したイエス様の愛の覚悟です。

サタンの方を選ぶことも出来る。悔い改めてイエス様の方に戻ることも出来る。

完全な自由を保証し、どちらを選ぶことも自由な状態の中で、その人の本当の思いとその姿が現れます。

イエス様はユダを直そうとして支配したのではなく、彼を愛し、最後まで愛し通されたのです。

この御方に私たちも最後の最後まで愛し通され、人生を終えることができるとはなんという幸いでしょう。

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あなたは放っておかれ、あきらめられているのではありません。

神はあなたの自由を保証するために、息をひそめて見つめておられるのです。

神様の御心の方向に、足を踏み出す一日として参りましょう。

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