今日のみ言葉【No.1511】(2017年 4月 6日) 075 「香油を塗ったマリヤとそれをなじったユダ」(2)
「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」
(ヨハネ12:5)
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山形ジョイフルチャーチまでの道案内をする時、私は「○○デンキの近くです」と言い、家内は「△△というケーキショップの近くです」と言います。
心に関心があるものが違うのです。
そしてその場所から見た視点で順番に説明します。
何に価値を置くかによって、見えるものが違ってきます。
イスカリオテのユダにはマリヤのイエス様に対する愛は見えず、彼が一番大事に思っていた「お金」だけが見えていました。
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マリヤは
「高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。」
(ヨハネ12:3)
という行為を通して、感謝と愛を表しました。
これを見たイスカリオテのユダは、まことしやかな正論を唱えています。
「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」
(ヨハネ12:5)
つまり、
「何という無駄なことをしたのだ!足に垂らして、拭いて、それで終わりではないか。300万円くらいの価値があったのだから、それを売って貧しい人々のために使うのが本当の使い方だったはずだ」
と人々に聞こえるように言ったのです。
しかし、心の中にはそれと裏腹な動機が隠されてありました。
彼は会計係でしたが、お金をごまかしていたのです。
「彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった。」
(ヨハネ12:6)
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ユダの心理を説明するためには、イエス様の次の言葉が参考になります。
「あなたの宝のある所には、心もあるからである。」
(マタイ6:21)
自分が一番大事だと思い、価値があると思う場所や物や人に私たちの心もある、ということです。
イスカリオテのユダが大事に思っていたのはお金でした。
もっと言えば、彼の価値観の基準は、「損か得か」「役に立つかどうか」でした。
人は誰でも自分の価値観というフィルムを心にかぶせて生きています。
そして、自分の心のフィルムを通して外界の出来事を見、解釈しています。
ユダの目には、マリヤの溢れる愛は一切見えません。
彼が心のフィルムを通して見たものは、「高価なものが無駄になった」と解釈されて見える彼独自の映像でした。
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あなたが「神の愛が見えない」と言うのはなぜでしょう?
そうです。神の愛が見えなくなるフィルムをつけているからです。
「どうして私の周りには愛にあふれた人がいないのだろう?」
愛の人はいるのに、見えないのです。
「どうして私は感謝ができないのだろうか?」
感謝が見えなくなるフィルムを持っているのです。
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まず、自問自答してみましょう。
「自分は何を大事にしているのだろうか?」
「何を最も大切に思っているのだろうか?」
「私の宝物って一体何なのだろうか?」
その宝だと思っているところに自分の本体があり、「私はそこから物を見ているのだ」ということに気づくことが肝心です。
イエス様の先ほどの言葉が答えです。
「あなたの宝のある所には、心もあるからである。」
(マタイ6:21)
そして、そこからクルッと方向転換したら、神様はすぐ目の前にいらっしゃいます。
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イエス・キリストは、あなたの本当の心を知られ、方向転換(悔い改め)を待っておられます。
向きを変えるためには、一歩も踏み出す必要がありません。
その場で顔を向ける方向を変えるだけです。
歩み出すのはその後です。
あなたの目を、自分が宝だと思っていたところから、神の方向に向ける今日となりますように…。
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