今日のみ言葉【No.1475】(2017年 2月15日) 066 「ニコデモ」(3)
肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
(ヨハネ3:6)
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「おばあちゃんはグラマーだ」と孫から言われた、と、そのおばあちゃんが笑いながら教会にやって来られました。
よくよくお話を聞くと、小学生の英語教室に通っているお孫さんが、アメリカ人の先生から習ったことを自慢気に話してくれたのだそうです。
英語の授業で「祖母」は「grandmother(グランドマザー)」と習いますが、もっと気軽な言い方で「grandma(グランマ)」というのがあります。
日本語でも、「うちの祖母が」と言うより「うちのばあちゃんが」と言う方が多いように、英語の先生はグランマの方を教えてくれたのです。
ところが、おばあちゃんの耳には「グラマー」と聞こえます。
音声では「グランマ」と入ってくるのですが、聞いたことのない言葉です。
すると脳は今まで蓄積した言葉の記憶の中で一番近いものを探し当てます。
それで「グラマー」となったわけです。
人は未知のものと接した時に、今までの自分の経験の中から解釈しようとします。
ニコデモもそのような私たちと同じ人間でした。
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イエス様から自分の問題を単刀直入に指摘された後、ニコデモはその真意を正確にとらえることができず、自分の経験の中から解釈しようとしました。
イエス様:「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」(3節)
ニコデモ:「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」(4節)
ニコデモにとって「生まれる」とは母親の胎内から生まれるという肉体的な誕生しかありません。
老人となった自分がもう一度生まれ直すなどできるはずもないことは百も承知です。
しかしニコデモの思いは切実でした。
彼の考えは的外れでしたが、その恥を晒してでも、人生をやり直したいという強い思いが感じられます。
そのニコデモに対して、イエス様は新しく生まれるとは霊的誕生のことだと教えて下さいました。
「肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。」
(ヨハネ3:6)
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わかりやすくするために、「肉」を地上の世界とし「霊」を天上の世界とすると、地上の努力によって天上まで到達できるのではないということです。
厳しい修行を積んだり、学問的研究によって神を知ろうとすることは素晴らしいことです。大いに意味があります。
しかしそれで人間が神に到達したり、人間を超越した存在に生まれ変わるということはない、ということなのです。
天上の世界は地上の世界に起源を持たないからです。
霊から生まれるとは、
「そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。」
(ヨハネ3:14)
とあるように、十字架に上げられたイエス・キリストを見上げることです(参照:民数記21:4-9)。
そこに自分の罪の赦しがあると信じる時に、その人は霊的に生まれ、永遠の命を得るのです。
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ありのままの自分の姿は、知恵にも力にも乏しく、恥ずかしくなるほどです。
しかし、そのありのままの自分でイエス様に向かって行く時、そこで出会いを経験し、霊的誕生、そして神と共なる生活へと導かれます。
そのままの自分で神の御前に出ていく一日として参りましょう。
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