今日のみ言葉【No.1460】(2017年 1月27日) 061 「イエスと出会ったバプテスマのヨハネ」(2)
見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
(ヨハネ1:29)
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私はいとこのお兄ちゃんお姉ちゃんたちとよく遊び、面倒を見てもらいました。
1歳上で同じ高校に通ったいとことは、今でも○○ちゃん、と呼んでいます。
しかし彼の社会上の立場は、あるところの所長です。
そこに連絡する時は、フルネームに「様」をつけた上で、お取り次ぎをしていただかなければなりません。
バプテスマのヨハネとイエス・キリストの関係にもそのようなことがありました。
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バプテスマのヨハネとイエス様とは、実は従兄弟同士です。
ヨハネの母エリザベツとイエスの母マリアは親戚関係だったからです。
生まれた時も6ヶ月程度しか離れていませんから、ほぼ同い年と言えます。
子供の頃からお互いを知っていて、一緒に遊んだこともあったことでしょう。
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しかし、大工ヨセフの子イエスとしての生涯から、30歳にしてメシヤとしての公生涯に出られた後のイエス様と、バプテスマのヨハネは最初に出会った時、
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」
(ヨハネ1:29)
とヨハネは言いました。
決して、
「イエスちゃん、久しぶり。どうしたの?」
などという今までと同じようなものではありません。
バプテスマのヨハネは、イエス様の姿に、旧約聖書の過越の小羊の姿を見たのです。
モーセに率いられてイスラエルの民がエジプトから脱出する夜、1頭の小羊をほふり、
「その血を取り、小羊を食する家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。」
(出エジプト記12:7)
という神の命令を受けました。
犠牲になった小羊の血が塗られている家には死の使いは訪れずに過ぎ越し、小羊の犠牲がないエジプト人の家の初子が死の使いによって命が奪われてしまうという災いです。
バプテスマのヨハネの目にはこのことがはっきりと映ったのです。
全人類の罪の負債がイエス・キリストの命という犠牲によって払われ、イエス様が十字架で流された血が出エジプトの小羊の血と同じで、信じた者が救われるという神の作られた救いへの道です。
彼はこの事のゆえに、
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」
(ヨハネ1:29)
と言葉を発したのです。
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今まであったものが、神との出会いによって全く違うものに映ることがあるものです。
イエス・キリストを通して、同じ世界でも全く違った祝福の世界を見させていただく今日として参りましょう。
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