今日のみ言葉【No.1447】(2017年 1月12日) 056 「十字架上のイエスを嘲った人々」(3)
「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」
(マタイ27:40)
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「すべての商品は問題解決のために作られている」
これはセールスの達人が営業セミナーで教えた言葉です。
つまり、お客様に
「この人がすすめる商品を手に入れれば、自分が今直面している厄介な問題がなくなる」
という思いを起こさせれば、人は物を買ってくれるというわけです。
その意味で、この世が求める「救い」とは問題が解決することです。
窮地から脱することが「救い」であり、困難を消してくれる存在が「救い主」となります。
今日の聖句が、まさにこのことを表しています。
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十字架の周りで人々は、
「もし神の子なら、自分を救え」
(マタイ27:40)
と挑発しました。
そして最も言いたかったことは、
「十字架からおりてこい」
(マタイ27:40)
ということでした。
彼らが考えている「救い」とは「十字架から降りる」ことだったからです。
つまり、
「自分の身に降りかかっている災難を事も無げに処理してこそ人の問題も解決できる。だから颯爽と十字架から降りてみよ。そうすれば救い主と認めてやる」
という論理なのです。
実はこれはマタイ4章にあるサタンの誘惑と同じです。
「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。」
(マタイ4:6)
人間が持ち得ないスーパーパワーを発揮したらどんな問題も自由自在に解決できるでしょう。そうしたらどうですか?
これが誘惑たり得たのは、イエス様にその力があったからです。
しかしイエス様はその力を行使せず、「主なるあなたの神を試みてはならない」との御言葉に立ち、降りることをなさいませんでした。
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イエス様が十字架から降りずに、黙々と刑に服し苦しまれたのは、私たちの罪のため、身代わりとなって救うためです。
十字架から降りるということは、自分を救うことです。
しかしそうすれば、全人類の罪を負う存在はいなくなります。
イエス・キリストは、自らを犠牲とするため十字架の上に居続けられたのです。
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イエス・キリストは、あなたのために、決して十字架から降りないお方です。
この方が与える救いをじっくりと味わう一日として参りましょう。
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