今日のみ言葉【No.1446】(2017年 1月11日) 056 「十字架上のイエスを嘲った人々」(2)
そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った、「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」。
(マタイ27:39-40)
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イチロー選手が日米通算安打数で世界一になった時、彼は記者会見でこう語りました。
「子供の頃から、人に笑われてきたことを常に達成してきた自負はあります。小学生の頃、毎日練習して近所の人から『あいつプロ野球選手にでもなるのか』と笑われた。悔しい思いもしましたが、プロ野球選手になった。米国に行く時も『首位打者になってみたい』と言って笑われた。でも、2回達成したり…」
本気で挑戦している人に協力する人もいますが、本気も何もない無責任な傍観者はそのチャレンジしている人を笑うものです。
イエス・キリストは笑われる以上にののしられました。
しかしそれでもやめない強い意志と愛の持ち主でした。
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イエス様には肉体的な苦痛以上に、心の中に感ずる痛みがありました。
自分がこれから十字架につくのは、目の前の人々の救いのためなのですが、彼らの姿は、
・十字架上のイエスを嘲りののしる人々
・周りの声に迎合し、イエス様をばかにして罵っている通行人
・十字架で苦しんでいるイエス様の足下で、自分の取り分が欲しくてくじ引きにうち興じている兵士
というものでした。
イエス・キリストは、悪行雑言を受けてもののしり返すことをせず、また、自分に対して全く無関心であっても、ただひたすら十字架の苦しみを受け続けました。
その理由はただ一つ。
人を愛する愛なのです。
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以前、こんな記事をご紹介いたしました。
ある教会が老人福祉施設を建設するため、付近の住民の方々向けに説明会を開きました。
すると、「家の前の道路を工事車両が通ると交通が混雑する、危険だ」等々、反対の嵐です。
責任者となっていた牧師は、反対派の中心のAさんと話し合い、粘り強く交渉し、数年後にようやく老人ホームの完成にたどり着きました。
さて、その施設に最初に入居した人は誰だったのでしょう。
他ならぬAさんだったのです。
数年前とはガラリと体調が一変し、どうしようかと考えた時、
「家に一番近くて、しかも一番新しい施設だから」
という理由でご家族共々選ばれたのでした。
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このプロジェクトの完成まで携わった教会の方がこう語られました。
「善いことをするには、『すいません』、『申し訳ありません』と頭を下げて謝りながらしなければならないのですね」
実感のこもった、現場から発する貴重な体験の言葉です。
キリストに習い、私たちもその愛に生きようとする時、嘲られたり笑われたりすることがあります。
そこで私たちは神から問われるのです。
「あなたは本気でやろうとしているのか?」
もちろんそこで、
「いいえ、こんな中途半端な気持ちの自分だったとは気づきませんでした。これではできません。」
と言って、やめてもいいのです。
しかし、そこで
「神様、イエス様には遠く及びませんが、私もその愛で生きたいと思います。ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞ助けて下さい」
と祈る時、神は次の道をサーっと照らし出して下さいます。
その先、また幾つもの分かれ道があり、そこで私たちは何度も神から問われます。
そうやって鍛えられ、キリストに似た者とさせていただき、私たちを通して神は愛のわざを成して下さるのです。
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キリストの愛にゆだね、キリストにならう者として、今日の一歩を進めて参りましょう。
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