今日のみ言葉【No.1324】(2016年 7月 8日) 014 「百卒長とそのしもべ」(2)
わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
(ルカ7:8)
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日本の自衛隊員には「上官の命令に服従する義務」が規定されています。
「隊員は、その職務の遂行に当たっては、上官の職務上の命令に忠実に従わなければならない。」
(自衛隊法第57条)
現代でもそうなら、2000年前の百卒長の時代、「上官の命令は絶対」だったことでしょう。
自分より上の千卒長から言われたことには必ず従い、また、百卒長が自分の部下に命令すると、必ずその通りに実行されるのです。
百卒長は、それと同じことがイエス様と自分、そしてしもべとの間で起こると信じていました。
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ここでのキーワードは「権威」です。
権威ある者が語る言葉には力があるのです。
たとえば、昔のお医者さんには「医者の言葉は神の言葉」と言われるほどの権威付けがありました。
医師から「入院です。手術しましょう。」と言われれば、患者は一も二もなく、「はい、お願いします。」と言ったものです。
従うしか選択肢は無いというより、「医者の言葉は絶対で、正しいもの、最善の選択」と思われていたのです。
権威の下に服する百卒長にとって、「お言葉を待つ」ことが自分に与えられた仕事でした。
言葉が与えられたら、それは実現したと同じことだったのです。
言った通りに必ずなされる。
彼の軍人としての生活では、それが当たり前のことだったのです。
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百卒長は自分でも権威を持っていましたが、イエス様の内に、自分も他の誰も持っていない「権威」があることに気づいていました。
この世の権威ではなく、神の権威です。
そしてそれは命に関わる重大な権威であると感じ取っていました。
そこで彼はイエス様の下に服し、言葉をいただいたらその言葉通りの力が働く、と考え、信じて疑わなかったのです。
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ただし、これはイエス様が
「これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」
(ルカ7:9)
と感心されたほどの、いわば100点満点の信仰です。
私たちがまだまだ
「それはそうなる時もあるだろうけど、言った言葉がその通りになるなんて、よほど運が良ければそうでしょうが、まあ、そんなことは百に一つ有るか無いかでしょう。」
という位置にいるなら、百卒長の信仰は、空理空論、全く自分の現実と噛み合わない夢物語となってしまいます。
そのような私たちは、小さな黒い一粒の種としてたとえられます。
スイカの種なら、黒色からは想像もつかない真っ赤なみずみずしい実を結びます。
アサガオの種なら、色とりどりの花を毎朝咲かせます。
今はまだまだだけど、将来の100点満点の自分の姿を目標に定め、そこに到達するのだと思い描いて進んでいくのです。
やがて時至り、百卒長のような見事な信仰へと成長していきます。
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先日、1審の地裁で敗訴、しかし、2審の高裁で逆転勝訴した方の話を伺いました。
私は、
「1審で負けた時、がっかりしなかったのですか?もう裁判はやめようとは思わなかったのですか?」
と質問しました。
するとその方はこう答えました。
「たとえ最高裁で負けたとしても、新たに訴えを起こそうと思っていました。」
なるほど、だから最初の審理で訴えが退けられてもビクともしなかったわけです。
先を、そして更にその先を、たとえ望みが絶たれても、更に新しいその先を見つめている人は、1つの失敗でも挫けません。
信じて疑わないとは、先にある目標を見つめ、ただそこに向かって進んでいくことのみと悟らされた出会いでした。
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神の言葉を求め、御言葉によって生きる今日として参りましょう。
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