今日のみ言葉【No.1414】(2016年11月17日) 045 「銅貨2枚を入れた貧しいやもめ」(1)

イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。
(マルコ12:41)

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三浦綾子さんの『新約聖書入門』という本の中に、「右の手のすることを左の手に知らせるな」という一項があります。

イエス様の時代に、世間の注目を集めるため、わざわざ広場に行って施しをした者もいたということから、

「目的は施しにあるのではなく、自分が称賛を得るところにある」

と分析されています。

さらに、

「イエスは、よいことをする時に、ひた隠しに隠せと言われているのである。自分がほめられたい、人に認められたいという思いからするのであれば、もはや善行とは言えないからである。それは自分のためにしているのだから、言ってみれば善行ではなく、善行の皮をかぶった利己的行為である」
(『新約聖書入門』,三浦綾子著,光文社,P55)

と三浦さんは鋭く切り込んでいます。

まさしくその通り。

イエス様の目は、献金という行為でなく、その奥の心の内を見ておられるということです。

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マルコによる福音書第12章41節〜44節に描かれている状況とは以下のようなものです。

エルサレム神殿の婦人の庭の壁には、13個の献金箱(つぼ)が設置されており、男性は献金箱に献金を入れては、神殿の奥に進んで礼拝を捧げていました。

ここでの金持ちたちの献金の仕方は、人々に見せびらかすようなものでした。

当時、経済的に豊かであることは、神の祝福がたくさんあることであると考えられていました。

ですから、多く捧げられるということは、信仰の厚い敬虔な人であると人々は思っていました。

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ここで注意しなければならないことは、「お金は悪だ」と言っているのではないことです。

金持が悪人で貧乏人が善人、ということではありません。

問題は心です。

そして、人の心はお金を捧げる献金という行為の中にはっきりと見えるのです。

「群衆がその箱に金を投げ入れる様子」
(マルコ12:41)

をじっと見ておられたイエス様の目は、同じく、私たちの姿を見ておられる目です。

これを知って、

ゾッとしますか?

ホッとしますか?

何も感じませんか?

神を愛し、その神様に恥じない生き方をしていればいいのです。

するとその先に、神様が用意しておられる結果が待っています。

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グーグル検索で「今日のみ言葉」と入れて検索すると、一番上に出てきます。

普通、自分のサイトをトップに出すためには、あれやこれやと特別な方法を駆使するのですが、私は何もやっていません。

リンク先があっても教会の2つだけ。広告も何もなし。それがなぜ一番なのでしょう?

その分野に詳しい人に聞くと、グーグルはユーザーへのメリットを最大化する方向性を持った企業で、昔から

「Don’t Be Evil(邪悪になるな)」

を行動規範として掲げてきたからだといいます(現在は「Do the Right Thing(正しいことをやれ)」に改定)。

ですから、「何としても一番にしよう」という作為的なものがない「今日の御言葉」のサイトが上位に上げられるという不思議な結果になっているのだと思われます。

私はこれを神の恵みとして受け取っています。

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今日、私を見るイエス様の目を意識しながら、神の前に恥じない生き方を心がけて進んで参りましょう。

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