今日のみ言葉【No.1429】(2016年12月 6日) 050 「イエスに口づけしたユダ」(1)

イエスを裏切った者が、あらかじめ彼らに、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」と合図をしておいた。
(マタイ26:48)

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戦後、日本ではわかりやすい言葉で訳された聖書が相次いで発行されました。

1954年に口語訳聖書(新約)が出版され、新改訳聖書(新約)が世に出たのはその11年後です。

1954年(昭和29年)とは、白黒映画の「ゴジラ」が封切られ、プロレスの力道山が活躍し、ようやく50銭以下の小銭が廃止された年です。

ですから、口語訳聖書では、今はほとんど使われなくなった「接吻(せっぷん)」という言葉が使われています。

新改訳聖書では「口づけ」です。英語の訳では「kiss(キス)」となっています。

イスラエルのある中東の文化では、接吻は挨拶であり、親愛の情を表すものでした。

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ゲッセマネでの祈りを終えられたイエス様と弟子たちの方へ、「剣や棒を手にした大ぜいの群衆」、つまり武装集団がイエス様を逮捕するためにやってきました。

イスカリオテのユダはその先頭です。

「十二弟子のひとりでユダという者が先頭に立って、イエスに接吻しようとして近づいてきた。」
(ルカ22:47)

何のためでしょう?

「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」
(マタイ26:48)

と合図をしておいたからです。

ユダは本当に悪人です。

同じ「接吻」という語が2回出てきますが、48節と違い、49節は「親愛の情を込めて、丁寧に、何度も接吻する」という意味の言葉が使われています。

後ろの兵隊たちに「これがイエスだ」と、はっきりと分かるようにしたのです。

目標達成のためには手段を選ばず、知恵と才能の全てを使って成功させようとするユダ。

心にサタンを入れてしまった人間は、神から与えられた最高の能力を誤った方向へと用いてしまいます。

この場面でのユダは、傲慢そのもの。自分を中心にして世界は回り、自分が書いたシナリオ通りに動くと信じきっていました。

罪の極みとはまさにこの時のユダのことを言うのでしょう。

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こんな人があなたの目の前に現れたら、あなたはどのように感じられるでしょうか?

今までその人の成長のため、益となることなら、こちら側の全財産を注ぎ出して尽くしてきたのに、その人が実は裏切ろうとしているのです。

しかし、満面の笑みを浮かべ、自分の方に近寄ってきます。

日本式に丁寧に頭を下げてお辞儀をし、西洋式に両手でギュッと強く握手をし、中東式に頬にくちづけしようとして来ます。

全て計算されて演じている笑顔であり、偽の振る舞いだとはっきりと分かります。

さあ、あなたはどんな反応をなさいますか?

イエス・キリストの反応は、50節に表されています。

それは次回に…。

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悪い者が堂々と主役を演じている時があるものです。

それを動かすサタンの存在。

しかしその更に上におられる神の存在を覚え、神のシナリオの方に目を向け、その役目に徹し切る今日として参りましょう。

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