今日のみ言葉【No.1301】(2016年 6月 4日) 006 「イエスの両親」(3)
それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。
(ルカ2:51)
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私たちはイエス様と出会おうとしますが、実はイエス様の方で私たちに出会ってくださるというのが本当のところです。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。」
(ヨハネ15:16)
そして、私たちがイエス様にお仕えするより遥か以前に、イエス様は私たちに仕え、今もそのようにして働いておられます。
両親に「神の子」として出会って下さったイエス様は、そのことをひけらかしたり、親よりも上なのだと誇示したりすることはなく、30歳の公生涯に入るまでの年月を、
「彼らにお仕えになった」
という日々を貫き通されました。
その間、弟や妹たちと生活し、父ヨセフから大工仕事を教わり、その仕事に励み、やがてヨセフは亡くなり、長男としてお葬式をし、未亡人となった母マリヤを支える生活をします。
ごく普通の一般的な人間として生き、自らすすんで「仕える」という生活をされたのです。
「どこに神がいるのだろう?」
と、自分を中心として360度グルリと見渡す視点から離れて、
「私イエスは、昨日も今日もそして明日も、あなたに仕えています」
という180度の正反対の向こう側の視点からものを見るようにすると、神との出会いはたやすくなります。
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これは全くの私見ですが、牧師の子どもは「スーパー良い子」か「スーパー問題児」かの両極端に分かれやすいように思えます。
その原因は、親の方が極端で偏っているからだ、という説もありますが!
さて、牧師の娘のM美さんは小学生の時に洗礼を受け、教会の将来を担う存在として期待されていました。
ところが、あれよあれよという間に不登校になり、
「これからどうしたらいいんだろう…」
と悩む中、教会の寮に入り、心を強められ、高校生活に再チャレンジしました。
しかし中途退学。
それでもまた教会の方々、特に元教師の人々の助けにより、高卒認定試験(旧大学検定)に合格することができました。
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その勉強の日々の中、こんな出来事が彼女を変えました。
ある先生が、M美さんの弱点を容赦なく追求したので、彼女は本当にムッとしてしまいました。
すると先生がこう言いました。
「M美さん、弱さを知ることが大事なのよ。弱さを鍛えていけば、必ず強さに変わるから。」
これが彼女の心にズドーンと飛び込んできました。
「弱さがあってもいいんだ!」
と思えたのです。
M美さんはそれ以来、他の教科でも頻繁に質問するようになりました。
いつもイイ子でいなければならないと思っていた彼女でしたが、ポロポロと弱さを出せるようになったのです。
すると、小学生の時に洗礼を受けていながら、いまだに信仰の確信が持てない自分の弱さをさらけ出せるようにもなりました。
ですから、信仰の先輩方に、
「○○さんにとって、神様って何ですか?」
と素直に質問することができるようになりました。
すると、多くの方々から信仰の確信のお話を聞くことができ、神様がずっと身近に感じられるようになりました。
弱さを認められるようになったおかげです。
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あの厳しくも愛のこもった先生の背後に、イエス様の仕える姿が目に浮かびませんか?
人を通して私たちは仕えるイエス様と出会い、私たち自身も人に仕える「小キリスト」として用いられていくのです。
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