今日のみ言葉【No.1302】(2016年 6月13日) 007 「イエスと悪魔」(1)

人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。
(マタイ4:4)

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バイブルクイズです。

「旧・新約聖書66巻の中で、たった1つだけ悪魔が出て来ない書があります。それは何でしょうか?」

この答えがわかれば上級者というものです。

正解は

「ヘブル人への手紙」

です。

「サタン」という直接の名前ではなくとも、創世記では「へび」として現れ、ヘブル書以外のすべての書には、「悪いもの」等の表現で「悪」の存在は当然のこととして出てきます。

この悪をまとった霊的人格的存在がイエス様と出会ったことが、いえ、自分から積極的に会いに来たことがマタイによる福音書第4章に記されています。

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悪魔(サタン)が自分からイエス様に会いに来たのは、イエス様を誘惑し、自分の言うことを聞かせ、支配下に置くためです。

サタンは決して自分自身を変えようとは思いません。

神の子に挑戦し、試し、自分の思い通りに動かそうとするのです。

ですから、イエス様と出会っても、彼には悔い改めも方向転換も何の変化もありません。

あるのはただ自分の思いを通そうとすることだけです。

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悪魔はどのような時に、どのようなことをきっかけにして近づいてくるでしょうか?

それは人がストレスにさらされている時です。

サタンがイエス様に近づいてきたのは、荒野で断食をしていた時です。

「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。」
(マタイ4:1-2)

イエス様が空腹で、体力も弱り、極限状態の時、サタン誘惑をしに来ました。

私たちも同様で、ストレス満載状態の時、サタンはひょっこりと「こんにちは」とやって来ます。

体力も気力も弱り果てている時、悪魔と出会いやすいことを覚えておきましょう。

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サタンの第1の誘惑は、

「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」
(マタイ4:3)

でした。

これは神の力の濫用であると共に、

「神様を信じていると言っても、食べていけなければどうしようもないんじゃないですか?結局のところ、経済の問題を解決できなければ、信仰がどうだこうだと言っても始まらないでしょう?」

ということを言っています。

「なるほど、そうだな。食べることが先だ」と思ってしまえばサタンの思うつぼです。

祈りや礼拝を守ることよりもお金を稼ぐことが先行してしまい、いつしか人は神から距離を置くことになります。

人を神から引き離すために活動しているサタンの目的達成となってしまいます。

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イエス様はこのサタンの誘惑に対して、御言葉でもって対処なさいました。

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」
(マタイ4:4)

これは衣食住が足り、食べ物を捨てることが珍しくなくなった日本人が本当に理解できる言葉なのではないでしょうか。

人はパンに代表される食物が保証されても幸せになれないのです。

人生に目的を与える神の言葉があって初めて人は真に生きることができるのです。

パンの問題は神様が解決してくださいます。

「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」
(マタイ6:33)

神を第一として生きる時に、必要なものはすべて添えて与えられるからです。

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先日、年に1回の大きな講演会を山形で行いました。

毎年、I兄姉は米沢からやってくる教会スタッフの方々のために沢山の「笹巻き」を作ります。

材料の笹の葉から餅米、きな粉まで、すべて捧げ、喜んで作ってくださるのです。

さて、祈祷会で講演会のために祈り終わった時、ある方が餅米2kgを持ってきて下さいました。

その方は、事情を全く知らない方です。そして、今日、I姉が来ていることも、祈祷会があることも知らずに教会にやって来られたのです。

神のご配慮として、その餅米はI姉の手に渡り、立派な笹巻きとなって教会スタッフの手に渡りました。

神様を第一として生きていく時、人間のパンの問題は神様が解決してくださるのです。

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神の言葉によって生きる一日として参りましょう。

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