今日のみ言葉【No.1249】(2016年 3月19日)

彼らの王はその前に進み、主はその先頭に立たれる。
(ミカ2:13)

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ミカ書第2章は、エルサレムの指導者たちの罪を大いに嘆くことから始まっています。

犯罪者とは闇の中で隠れて事を行うものですが、富裕な支配者階級は、

「彼らはその手に力あるゆえ、夜が明けるとこれを行う」
(ミカ2:1)

とあるように、昼間に行うのです。

つまり、合法的に、大っぴらに、貧しい者たちから田畑を巻き上げる悪行を欲望の限り続けていたのです。

神はこれを裁かずにはおられません。

ミカ書第2章の大部分には、責任を果たすべき指導者たちの横暴が描写され、その結果として神が下される裁き(滅亡)の預言が記されています。

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しかし、第2章の最後に、回復の希望が記されています。

「ヤコブよ、わたしは必ずあなたをことごとく集め、イスラエルの残れる者を集める。」
(ミカ2:12)

これが真に実現するのは世の終末の時です。

人類の長い歴史の中で、バビロン捕囚後のエルサレム帰還や、1948年のイスラエル再建の出来事がこの預言の成就のように思えますが、それはまだ不完全なものです。

ですから、いよいよ終末の時代が来るまで、悪ははびこり、強者は弱者を利用し、矛盾が矛盾を産む風景が次々と現れます。

「世の中とはそういうものなのだ」

「結局、弱肉強食。力こそ全てなのだ」

と完全に諦め切れればかえって楽になれるでしょう。

しかし、やはり正義が通り、悪い者が相応の罰を受け、矛盾なく調和した現実も同様に目の前に現れます。

「ああ、神様はいるんだ。守って下さるんだ。」

と、ホッとすることでしょう。

かと言って、いつまでも気を緩めているわけにはいきません。

神がいるはずなのに苦難はやって来るからです。

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それはちょうど合格ラインすれすれのところにいる受験生のようなものです。

完全に不合格の学力なら、「私には合わないところなんだ」と諦めて心安らかにしていられます。

しかし、頑張れば入れるかも知れないと言われると、自分の努力を放棄して楽になるという選択はできにくくなります。

ただし、全力を出して頑張ったからと言って、間違いなく合格できる保証はありません。

頑張っても苦しみ、頑張らなくても苦しむという宙ぶらりんの状態。

不合格と合格、つまり、滅びと救いの両者が何の脈絡もなく不連続に現れると、人はどちらが本当なのかと戸惑い、生きることそのものに疲れを覚える現実が続きます。

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終末が来るまでの中間状態に生きる私たちは、将来必ず

「彼らの王はその前に進み、主はその先頭に立たれる」
(ミカ2:13)

ようになるという選択を、意志的にする、ということが正解です。

回復の希望は保証されています。

ただし、人間が思い描く希望と神の与える希望は異なり、私たちが望むものを遥かに超えた未来を神は用意してくださっています。

その未来に成就する目標をしっかり見据えつつ、今は悪と矛盾に出会う現実に100点満点とは行かない自分の答案を書いていくことです。

登山に例えて言えば、美しい山頂を目指し、登り切った時に爽やかな風が体中の汗を拭い去ってくれるシーンを思い描きつつ、自分の足もとにある石につまずかないように、頂上までの上り坂を泥にまみれながら一歩々々登って行くということです。

あえて神の言葉を選び、現実にチャレンジすること。

ありのままの答案こそ神に提出すべき答案です。

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今日も一歩、神の山への登山を進めて参りましょう。

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