今日のみ言葉【No.1250】(2016年 3月22日)
公義はあなたがたの知っておるべきことではないか。
(ミカ3:1)
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3日で108万円という高額な現場研修があります。
あるカリスマ社長のカバン持ちとして同行し、実際の仕事を体験するという研修ですが、その価格にもかかわらず、1年先まで予約待ちだそうです。
その人気のわけは、「ありきたりの社長」がその研修に参加した後、「できる社長」に生まれ変わるからです。
そこでは、社長の「やるべきこと」と「やってはいけないこと」をカバン持ちという役目を通して肌身で実感します。
人はやるべきこと、やるべきでないことが定まると、スーッと一本道を進んで行けるのです。
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今日の聖句で預言者ミカは、イスラエルの指導者たちに対して、
「公義はあなたがたの知っておるべきことではないか。」
(ミカ3:1)
と強調しています。
この章だけで「公義」(ヘブル語で「ミシュパート」)という語は3回も使われているほどの重要な言葉です。
この時代、「公義」は鳴りを潜め、指導者層の堕落、そして、国内に不法がはびこる状態が続きました。
つまり、法律が通らず、賄賂によって裁判が左右され、お金をもらった偽預言者たちは「災はあなたに望むことはありません」と心地よい言葉を語る時代だったのです。
神はミカを通して
「こうして彼らが主に呼ばわっても、主はお答えにならない。かえってその時には、み顔を彼らに隠される。」
(ミカ3:4)
とまで語って、このようなイスラエルを拒絶しました。
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神が私たちに求められるのは、この「公義」です。
それは神がアブラハムに啓示された次の言葉によって表されます。
「アブラハムは必ず大きな強い国民となって、地のすべての民がみな、彼によって祝福を受けるのではないか。わたしは彼が後の子らと家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公道とを行わせるために彼を知ったのである。」
(創世記18:18-19)
神を信じ、キリストの救いを受けた私たちが、その神の祝福を他の人々も受けられるようになるために働くこと。
それが私たちのやるべきことです。
そしてそのために神の基準に合わせて生きることが聖書の言う「公義」です。
この生き方に人生の焦点が定まれば、後は迷うことはありません。
祝福の基となる人生を生きるのだ。そのために聖書に表されている神の正しい生き方をするのだ、と決まっている人は、
「やるべきこと」と
「できるけれども、やらないこと」
の両者がはっきりと見え、着実な人生を歩んでいくのです。
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ある方は、朝の最初の時間を聖書を読み祈りを捧げる時間として確保しておられます。
またある方は、家族がイエス様の救いを受け入れやすくすることだ、と決めて、ご家族へ愛と配慮と忍耐の日々を送っておられます。
いずれも苦痛を耐え忍んで…、という情景ではなく、むしろ充実感あふれる生き方をなさっておられます。
やるべきことが見えている人生とは、そのように一直線に進み、一日がアッという間に終わったと感じるほどの密度の濃さがあるのです。
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神の公義を求める今日の一日として参りましょう。
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