今日のみ言葉【No.1241】(2016年 3月10日)

主は言われた、「アモスよ、あなたは何を見るか」。わたしは「ひとかごの夏のくだもの」と答えた。
(アモス8:2)

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神様が人間に語りかけられる質問は、しばしば不思議な問いかけになります。

神の最初の質問はエデンの園で発せられました。

食べてはならないはずの善悪を知る木の実を取って食べ、自分たちが罪を犯したと知ったアダムとエバは、神が近寄ってくるのを知り、

「人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した」
(創世記3:8)

と書いてあります。

しかし神は彼らのいる場所をご存知でした。

ですから、

「主なる神は人に呼びかけて言われた」

のです。

何と言ったのでしょう?

「そこにいるのは分かっている。無駄な抵抗はやめて出てきなさい!」

とでも言ったのでしょうか?

いいえ、

「あなたはどこにいるのか」
(創世記3:9)

と質問されたのです。

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全く妙な質問です。

人間は息をひそめて隠れてはいますが、神は彼らがどこにいるのか先刻ご承知です。

園の木の間の、隠れているその場所に向かって、

「あなたはどこにいるのか」
(創世記3:9)

と問いかけられるのは変だと思いませんか?

ここには神の意図があります。

人間が自分たちで自分の居場所を言葉にする機会を与えようとなさったのです。

つまり、自分で自分のいるところを認識させ、他者からの指摘でではなく、自分で自分の罪を認めさせるようになさったのです。

ですからこれは意地悪な企みではなく、自分の姿をハッキリとわからせる方法だったのです。

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アモスに対しても神は妙な質問をなさいました。

彼の前には「ひとかごの夏のくだもの」がありました。

神はこう尋ねます。

「アモスよ、あなたは何を見るか」
(アモス8:2)

アモスの答えは明白です。

「ひとかごの夏のくだもの」
(アモス8:2)

これ以外、答は無いとあなたはお思いですか?

いいえ、人は自分が見たいものを見、聞きたい音を聞いているのです。

ですから、

「おいしそうなブドウが見えます」

と、自分が好きなものだけが目についたかもしれません。

あるいは、

「特に何も…」

という答になっていたかもしれません。

神様が提示されたものを、ありのまま、素直な心で見ること。

その時、神が見ておられるのと同じ情景が見えてきます。

すると、波長の合ったラジオのごとく、神の言葉が明快に聞こえてくるのです。

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今日のアモス書第8章について言えば、「夏」とはヘブル語の発音で「カイツ」と言います。

そして、「終わり」は「ケーツ」です。

「カイツ」と「ケーツ」という似た発音の言葉で語呂合わせ的な表現になっている個所です。

もしアモスの心に「イスラエルが終りになるのは嫌だな」という思いがあれば、

「ひとかごの夏(カイツ)のくだもの」

を見せて、

「イスラエルの終り(ケーツ)」

を語ろうとされる神のメッセージを正しく汲み取ることはできなかったことでしょう。

しかし彼の心に「構え」はありませんでした。

自分の「こうしよう、ああしよう」という思いは一切神に捧げ、ただ神の召しに従い、神の語られることのみを人々に伝える献身の心がこの「無構え」を生み、そこからむしろ彼の伸び伸びとした自由さが生まれていったのです。

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ありのままを見る心を与えていただき、神の御声を気かせていただく一日として参りましょう。

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