今日のみ言葉【No.1238】(2016年 3月 7日)
2:おとめイスラエルは倒れて、また起き上がらず、彼女はおのれの地に投げ倒されてこれを起す者がない
4:あなたがたはわたしを求めよ、そして生きよ。
(アモス5:2,4)
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「急がば回れ」と「先んずれば人を制す」では、どちらが正しいのでしょうか?
どちらも正しいのです。
これはその人の性格によります。
リスクをなるべく回避し、多少の犠牲を払ってでも安全にホッとして生きる方がストレスを少なく感じる人は「急がば回れ」が合っています。
一方、多少の犠牲を払ってでもスピードを重視する方がストレスを少なく感じる人は「先んずれば人を制す」が合っています。
正反対のことわざがあると矛盾するように見えますが、両者とも真実の一面を表しています。
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アモス書第5章には対立した言葉が並べられています。
2節で
「おとめイスラエルは倒れて、また起き上がらず」
とイスラエルの滅亡を予言しているにも関わらず、その舌の根も乾かない内に、4節で、
「あなたがたはわたしを求めよ、そして生きよ」
と言っています。
これはどういうことなのでしょうか?
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神は裁きと滅びを語る時に、そうならないように神に立ち返り、
「悪を憎み、善を愛し、門で公義を立てよ」
(アモス5:15)
と正義を貫く生活をせよ、と呼びかけられます。
しかし、アモスの時代、社会は腐り切り、自力での回復は不可能な状態にまで陥っていたのです。
自浄作用は働かない。
ならば、第3者の介入となるのが一般社会での処置です。
「あなたがたはわたしを求めよ、そして生きよ」
(アモス5:4)
とは、神に立ち返ることすらできない状態の人間に、神は助けと導きを与え、神が主導となって立ち返らせてくださる、ということです。
目を天に向け、「私にはできないが、神がそうさせてくださる」と信じていればよいのです。
それが神を求めることの第一歩です。
そして、今自分にできることを一つ一つ積み重ね、心地よい努力をしていくこと。
その努力を神は用いて下さり、必ず将来の神のご計画へとつながっていきます。
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私は55歳になってラジオ体操を始めました。
正しいラジオ体操とはこうです、という本を買ったからです。
そして、付属のDVDを見てびっくりしました。
2番目のあの足をグニャッとガニ股に広げるような体操では、常につま先立ちになっていなければならないのです。
かかとが着くのは一瞬だけ。
ほとんどずっとつま先立ちで手を動かし足を屈伸しなければなりません。
バランスが取れず、足を曲げ伸ばす力もなく、くたびれ果てて初回はそこで体操をやめてしまいました。
「こんなの無理」
「一生できない」
とは思いましたが、
「ちょいちょいでもやっていたら、そのうちできるようになるのだろうなあ」
という、決して強烈な思いではなく、かなり甘い見通しの淡い期待で続けてみることにしました。
自分を鍛えて必ず目標に到達するのだ!…、などという勇ましい決心は全くありません。
「きっとそうなるんだろうなあ」
「できる日が来ることもあるさ」
という程度です。
しかし、毎回、「かかとを着くのは一瞬だけ」と思ってラジオ体操をしていました。
数カ月後、
「あれ?」
難なくその通りにやっている自分を発見して驚きました。
体がだんだん適応して、できるようになっていたのです。
神様はそのように、時間がかかったり個人差はありますが、私たちを変えてくださるのです。
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からし種ひと粒ほどのどんなに小さい信じ方でも、神はそこから実を結ばせてくださいます。
希望を持って、平安のうちに自分のできる努力を積み重ねる一日として参りましょう。
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