今日のみ言葉【No.2719】(2022年 1月13日)「キリスト教イロハ(209)『コリント人への第1の手紙』」

キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召されたかたがたへ。
(第1コリント1:2)

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私の父はゴルフが好きだったので、庭の一部に芝生を敷き、暇を見ては芝刈りをし、きれいな状態を保っていました。

ところが、父が亡くなった後、管理者の私が手を抜いたため、芝は伸び放題、雑草があちこちに生え、父の時代にゴルフの練習ができていた状態とは程遠い有様になりました。

芝自体は良いものなのですが、それをゴルフボールが転がせるほどの良い状態に保つには、やはり手入れが必要なのです。

パウロがコリントの教会に宛てた手紙の内容は、その芝刈りや雑草取りのようなものです。

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パウロの伝道によってコリントの町に教会ができましたが、ここは問題山積みの教会でした。

パウロはコリント教会への手紙を、エペソから紀元55年頃書いたと言われています。

エペソの教会は綺麗に芝刈りされたような優秀な教会でしたが、コリント教会についてパウロが耳にする情報はそれとは全く正反対のものでした。

その理由は、コリントは港町で、多数の人口を有する大商業都市だったからです。

従って、様々な人たちがコリント教会に集まってきます。

キリストを信じるという一点においては共通でも、今までその人が持っていた価値観や生き方を引きずるわけで、コリント教会には神の国とは異なる多様な価値観が入り込んだ状態になってしまったのです。

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パウロはこの手紙の中で、コリント教会内の様々な誤った考え方や脱線に対して指示と訓戒を与えています。

それは、芝生の手入れをし、あちこちの雑草を引き抜いているようなものです。

ただし、彼の基本姿勢はこうです。

「キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召されたかたがたへ」
(第1コリント1:2)

コリント教会で逸脱した行為をしているクリスチャンたちを「悪」とは決めつけず、むしろ「聖徒」として神から召された尊い人たちだと見ているのです。

その「存在」(being)は素晴らしい。

しかし、その「行為」(doing)は認められない。

パウロは、いつまでも存続するものは信仰と希望と愛であり、その中で最も大いなるものは愛であることを知っており、それを自らが実行していたのです。

「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である」
(第1コリント13:13)

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コリント人への第1の手紙の内容は以下の通りです。

(1)挨拶と党派争い問題(1章〜4章)

(2)不品行(5章〜6章)

(3)結婚問題(7章)

(4)偶像への供え物(8章〜10章)

(5)集会の秩序(11章)

(6)賜物の秩序(12章〜14章)

(7)復活(15章)

(8)献金問題と挨拶と祈り(16章)

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私たちがどのような状態であったとしても、聖徒として見ておられる愛の神がおられます。

自分の今いる位置から、一歩でも実際的に聖化されるよう、今日の歩みを進めて参りましょう。

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