今日のみ言葉【No.1231】(2016年 2月20日)
主に向かって叫べ
(ヨエル1:14)
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「むか〜しむかし」のナレーションで始まり、桃が流れておばあさんの前まで来たところで、突然「おしまい」となるテレビCMがあります。
https://www.youtube.com/watch?v=6kGEJeGnFRk
愛媛県のある葬儀社のCMです。
誰でも「その日」があることはわかっているつもりです。
しかし今の現実生活では、自分のことであれ、家族のことであれ、知人のことであれ、考えることを先延ばしにしつつ、何とか自分を保って生きているのが本当のところではないでしょうか?
この葬儀社では、それは突然やって来るのですよ、とやさしいタッチで厳粛な事実を意外なCMという形で提示してくれています。
預言者ヨエルは、突然の災いと思える出来事に対して、神のメッセージを語っています。
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ヨエル書で最初に出てくるのはイナゴの大群です。
アラビア砂漠からの熱風に乗ってやってくるイナゴは、空を暗くするほどの大群であり、緑を食いつくし、未曾有の大災害をもたらしました。
ヨエルは、この自然災害を通して外敵の侵略を表現し、また、世の終わりの状況も重ねて預言しています。
終わりは普通の日常生活をしている時に、突然臨むのです。
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ヨエルは災いに遭った人々に対して次のようなことを言っています。
(2節)聞け
想定外の出来事に見舞われた時は、不安の解決に先走りがちです。
しかし、あわてずに、まず神の言葉は何とおっしゃっているか聞けということです。
(5節)目をさまして
「人は必ず死を迎える」という真理は、他人には当てはまっても、自分もそうだとはなかなか実感できないものです。
しかし災いは私たちに人生の残り期間の短さを目の当たりにさせます。
目を覚ますことが求められるのです。
(5節)泣け
人生のはかなさは、頭でわかると同時に心でも感じる必要があります。
泣いてよいのです。いえ、むしろ自分の無力さを覚えて泣ける人は幸いなのです。
(14節)叫べ
人間のはかなさ、自分の無力さに泣く人は、最後に
「主に向かって叫べ」
(ヨエル1:14)
と言われています。
ここにおいて初めて、人は欲得抜きで、神に向かって純粋な叫びを上げることができるのでしょう。
この叫びこそ神が待っているものです。
神はこれに応えようと待っておられたのです。
ヨエルが示す神は、災いを通して祝福を与える神なのです。
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E姉は自分のせいではない苦労を味わいながら生きてきた方でした。
ご家族のこと、夫の事業失敗による借金等々。
彼女は様々な試練を通して教会に導かれました。
祈祷会での祈りは、体を震わせ、涙を流しながらの心血注いだ祈りでした。
「神様、あなた以外に助けはありません!」
にもかかわらず、彼女は健康を害し、借金が減ることはありませんでした。
そのような闇の中を歩きながらも、E姉の信仰は揺るがず、祈りは続けられました。
やがてその祈りが答えられる時がやって来ました。
今や借金は完済、家族は全員洗礼を受け、クリスチャンホームとなられたのです。
彼女はこれを「神様が起こされた奇跡です」と証しておられます。
災いと思える出来事は、神様からの招待状であり、祈りを通して思いもかけない祝福を味わう人生が用意されているのです。
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神に聞き、目を覚まし、泣き、心からの叫びの祈りを上げる。
神の祝福をいただく一日として参りましょう。
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