今日のみ言葉【No.1209】(2016年 1月16日)

なお心を低くせず、
(ダニエル5:22)

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謝罪会見。

テレビやネットの動画で間接的に見るだけですが、その人が心から詫びているのか、傲慢を押し隠しながら、申し訳ないという表情を浮かべているだけなのかが分かります。

演技なのか真実なのか。

その人が心を低くしているのか、高くしているのか、が表される場でもあります。

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ダニエル書第5章は一気に時が進んで、バビロニア帝国の最後の日の描写です。

ネブカデネザル王の死後23年経ち、ダニエルはその頃80歳の高齢に達していました。

ベルシャザル王の宴会の最中に現れた不思議な文字の解き明かしのために彼は呼ばれ、バビロンがメディア・ペルシャ連合国によって滅ぼされ、王の運命はもう定まっていると告げました。

事実、バビロンは一日で滅んでしまいます。

「カルデヤびとの王ベルシャザルは、その夜のうちに殺され、メデアびとダリヨスが、その国を受けた。」
(ダニエル5:30-31)

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ベルシャザルの滅びの原因は、彼の驕り高ぶりです。

「ベルシャザルよ、あなたは彼の子であって、この事をことごとく知っていながら、なお心を低くせず、」
(ダニエル5:22)

あの尊大なネブカデネザル王でさえ神の前に身を低くしたのに、それを知りながら、ベルシャザル王はへりくだることをしませんでした。

人間は明日の命も分からぬ存在であり、ただ、今、神によって生かされているだけなのに、死は遥か彼方の先の他人事であり、自分はいつまでも死なないで生きているのが当然と思って過ごしています。

「たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ」
(ルカ12:19)

しかし、神が語る現実とはこういうものです。

「すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。」
(ルカ12:20)

自分の命は神から与えられたものであり、与えられた恵みの内で最善を尽くす生き方をするのが人間の分というものです。

自分の限界を知ることは恐いことでも悲しいことでも何でもなく、むしろそこから、神の前に謙遜な生き方をする新しい人生のスタートラインについたということなのです。

驕り高ぶりと滅びからの別れ。

限界に突き当たった時こそがそのチャンスの時なのです。

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内村鑑三は一度結婚に失敗しています。

親の反対を押し切って結婚し、しかも信仰を持ったクリスチャン同士が半年で離婚ですから、当時としては一大事です。

彼は再起を図り、安定した生活が保証された農商務省の役人の職を辞し、借金までしてアメリカに渡航します。

しかし、そうそう簡単に良い就職口があるわけではありません。

彼はフィラデルフィア近郊のエルウィンにあるペンシルベニア知的障碍児養護院で看護人として働くことになりました。

明治時代のいわばエリート役人をしていた内村ですから、かなりの落差を感じたことでしょう。

彼はこの苦労を、自分が犯した自己中心の罪の罰、そしてそのために神が与えた試練であり、自分の努力でこれを解決し、乗り越えなければならないと考えました。

しかしそう考えても、限界に達します。

もう無理、と思った時に、たまたまアメリカを訪れていた新島襄がマサチューセッツ州のアマースト大学を薦め、そこでのシーリー学長との出会いが彼の人生を変えます。

自分の罪を努力によって克服しようとしていた内村に対して、シーリー学長はこう言って諭しました。

「内村君、それではダメなんだよ。自分の力で自分を聖くしようとしても、到底できるものではない。自分の罪に代わって十字架に釘づけられて死んだイエス・キリストにおいて初めて克服できるものなのだ。」

つまり、どうやっても自力では罪から脱却できないのが人間。

しかし、その人間の代わりにキリストが十字架に架かり、死んだのだ、という福音の事実を知らせたのです。

「内村君、何故キリストが十字架の刑に遭って死んだのか。その意味の方を先に考えなさい」

自分の側からしか見ていなかった内村鑑三に対して、シーリー学長は神の側からの視点を与えました。

限界ギリギリにまで来ていた内村にとって、それはまさにブレイクスルーの言葉となって心に飛び込み、彼の信仰の大転換の時となったのです。

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限りが見えてきた時こそ、神の御手が見える時です。

恐れずその手にすがり、謙遜に神の恵みを受けて参りましょう。

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