今日のみ言葉【No.1665】(2017年12月13日)「 光を浴びる人生」

2017年12月15日

「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」
(ヨハネ8:12)

——————

そろそろ「冬期うつ病」の症状を発症される人が出る頃です。

胃がもたれて消化不良。グッと疲れやすくなった。夜何度も目が覚める。やる気が湧かない。

特に日本海側の人たちです。冬は日照時間が減るからです。

光は人の心に命をもたらすのです。

ところが、光に照らされることを避ける人々がいます。

光は闇を追い払い、今まで隠されて見えなかったものを「暴露」することになるからです。

-*-*-*-*-*-*-

神の光が照らされない闇の方を好むのは何も悪人だけとは限りません。

聖書の中に数々の例があります。

たとえばイエス様は、人々が価値あるものとして大切にしているものに対して、それは本当は無益なものなのだと言い放ちました。

「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない」
(マタイ6:19)

また、「自分を義人だと自任して他人を見下げている人たち」を退けられました。

「あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」
(ルカ18:14)

そして、宗教的行事という聖なるものの裏に隠された醜い動機をあらわにされました。

「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」
(マタイ21:13)

-*-*-*-*-*-*-

神の真実な光を嫌う人々にとって、イエス・キリストの存在は無い方が都合が良いのです。

彼らはキリストを十字架につけて殺すほどまで憎みました。

それは二千年前の愚かな人たちの話だ…、だけでは済みません。

現代に生きる私たちとて、その時代に生きていたら同じことをしていたはずなのです。

しかし、イエス・キリストはその罪人の私たちを愛し、十字架で命を捧げて下さいました。

そして今日も私たちに向かって光を放ち、

「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」
(ヨハネ8:12)

と、本当の命の道を歩むようにと招いていてくださているのです。

-*-*-*-*-*-*-

M姉は結婚を機に自分の本当の姿を見せられ、苦しんでいました。

「やればできる、できないのはまだやっていないから」

というのはただの思い込みであったという現実の前に打ちひしがれ、それをきっかけに教会に行き、クリスチャンとなられました。

すると神様は仕事先の精神障がい者施設の存在を示されました。

今まで何度も仕事で行っていたのに、その施設の入居者の方々が神様の命だけで生きている姿に目が開かれたのです。

自分の仮面が何度も剥がされそうになるのを必死でこらえましたが、神の光の前では降参です。

ある時、障がい者の方から

「健常者さんですか?」

と尋ねられた時、

「健常者もどきです」

と言って明るく笑っていられる自分を発見し、自分で自分に驚いたそうです。

本当に心から平安を味わっている自分。

それこそが神の光に照らされた自分なのです。

-*-*-*-*-*-*-

イエス・キリストは世の光です。

この方を信じ受け入れ、光を全身に、そして心いっぱいに浴びる一日として参りましょう。

-*-*-*-*-*-*-

※御言葉メールが届かない方へ

ご自分の「迷惑メール設定」を変更し、
maruyama@mikotoba.org
を受信許可に設定変更して下さいますようお願いいたします。