今日のみ言葉【No.1095】(2015年 7月25日)

されど主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです。
(イザヤ64:8)

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私は毎年1回、胃の内視鏡検査をしますが、経験豊富な医師は必ずこう言います。

「丸山さん、胃カメラで苦しまない秘訣は…」

皆さんは何だと思いますか?

お医者さんの言う

「苦しまない秘訣は…」

の続きの言葉はこうです。

「あきらめることだ。」

「苦しまないようにするとかえって苦しくなるから、『まな板の上の鯉』の心境になって下さい。」

私は言われた通り、あきらめてみました。

いえいえ、そう簡単にあきらめられるものではありません。

「あきらめるんだ!あきらめるんだ!」と繰り返し自分に言い聞かせていたのが現実です。

すると、「多少の苦しみ」はありますが、「かなりの苦しみ」ではなくなります。

身体が抵抗しないので、検査時間も短く終わります。

あきらめるとは、医師に全くゆだねよ、ということなのです。

ゆだねたら、自分の希望通りに苦しみが全て消える…、というわけではありませんが、医師側の仕事が迅速に進むので、結果的に患者側の労苦が少なくて済む、ということのようです。

イスラエルも、苦しみの果て、神にゆだねる方向に進んでいきました。

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今日の聖句は、神を「父」という親しい存在としてみなし、同時に、

「われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです。」
(イザヤ64:8)

と、その父である神に完全にゆだねる信仰を表明しています。

この預言がなされた当時のイスラエルは、どんなに努力してもうまく行かない時代でした。

祖先が神に選ばれたにもかかわらず、反逆し、バビロンに捕囚されるという罪の結果を彼らは味わいました。

そして、ペルシャ王クロスの勅令によりエルサレムに帰還できても、生活は豊かにならず、周囲の国から妨害を受け、計画は中途で挫折する憂き目に遭っていました。

全て自分たちの罪が招いた結果ですから、誰をも恨むことはできません。

しかし、四面楚歌、八方塞がりの状況であっても、天の一角は開いています。

イスラエルはそこに目を向け、天の父なる神に賭けたのです。

きっと、

「このような私たちですから、今さらあなたにおすがりする資格もございませんが、父なる神様だと信じてお願いいたします。」

という気持ちだったのでしょう。

それは、ルカによる福音書第15章に出てくる放蕩息子の心境と同じです。

「立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください」
(ルカ15:18-19)

放蕩息子の父は、ずっと彼の帰りを待っていて、暖かく迎えてくれました。

神はこのような御方なのです。

この神にゆだねていく時、あなたの人生は陶器師である神の手によって造り変えられていきます。

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神の御手にゆだねる一日として参りましょう。

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