今日のみ言葉【No.1062】(2015年 6月12日)
かのエジプトびとは人であって、神ではない。その馬は肉であって、霊ではない。
(イザヤ31:3)
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未使用のテレホンカードがあったので、どう使おうかと考えました。
ほとんどの人が携帯電話やスマホで連絡を取る時代になったので、公衆電話はどんどん撤去され、テレホンカードを持っていても滅多に使えません。
あれこれ調べると、街の金券ショップで半額程度で引き取ってくれるそうです。
「う〜ん、500円分が250円にしかならないのか…」
とがっかりしていると、別の情報が…。
若干の手数料はかかりますが、NTTの通話料金に充てられるそうです。
https://www.ntt-east.co.jp/ptd/contents/mag_card_charge.html
(但し未使用に限る)
なーんだ、やはり餅は餅屋。元のところに戻るのが一番なのだな、と納得しました。
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イザヤはこのことを繰り返しイスラエルに語りました。
神に立ち返れ。
しかし南ユダのヒゼキヤ王は、エジプトとの秘密交渉の末に同盟を組みました。
馬や戦車の軍事力。
これに寄り頼んだのです。
イザヤは
「かのエジプトびとは人であって、神ではない。その馬は肉であって、霊ではない。」
(イザヤ31:3)
と語り、
「今は栄えていても、やがて朽ちるものに頼ってはいけない。それが崩れると同時にあなたも倒れてしまう。」
と警告を発し続けました。
帰るべきところは、私たちの造り主である神のもとです。
ここに戻ることが確かな人生の出発点となります。
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私は高校生の頃、英語が話せれば幸せになれると思っていました。
当時、映画「スター・ウォーズ(Star Wars)」の原書を小遣いをはたいて買い、1ページ目は辞書からの書き込みで真っ黒になるまで読みました。
ただし次のページからはきれいなままです。2ページ目で挫折したのです。
それから20年後、アメリカで生活した時、英語で読み・書き、話す、ことは太陽が東から昇るくらい当たり前のことであり、空気のような存在になりました。
そこではっきり理解したことは、英語が話せることは自分の幸福感とは何の関係もない、ということでした。
何かができることには達成感があり、そこには何らかの意味があり、ゴールに到達した時の喜びは確かにあります。
しかし幸福感は続きません。
達成した瞬間から、それは当たり前の日常となるからです。
ですから、次の達成を目指し、自分を次の目標に駆り立てなければなりません。
それが人類の進歩発展につながるわけですが、この方法を通しての幸福感の追求は、やがて自分の能力の壁に突き当たったところで終了してしまうのではないでしょうか?
今の私は毎日聖書を読み、神との関係を再確認しながら、自分なりの幸せを味わっています。
何も達成せずとも、そのままの自分がゆるされ、愛されている。
この神へ立ち返ることが幸福感の基礎となります。
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何ができてもできなくても、そのままのあなたで良いのだ、と愛し続けてくださる神のみもとに帰る今日として参りましょう。
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