今日のみ言葉【No.1063】(2015年 6月13日)

しかし、ついには霊が上からわれわれの上にそそがれて、荒野は良き畑となり、良き畑は林のごとく見られるようになる。
(イザヤ32:15)

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私の目はドライアイなので、2〜3時間おきに専用の目薬で点眼します。

あのヒリヒリカラカラのしんどい症状は体験した人でないとわからないでしょう。

ところが、山形県の患者は6月からは症状がピタリと収まります。

ドライアイ専門のドクターによれば、あちこちの田んぼに水が張られるので空気中の湿度が増すからなのだそうです。

早く田植えのシーズンが本格化しないかな、と、カエルと同じ心境で待っているところです。

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イザヤ書第32章で描かれているイスラエルの姿は2つあります。

ヒリヒリに渇き、滅亡に向かう状況と、そこから回復された潤いのある姿です。

豊かになった未来の状態は、人間の努力でそうできたのではなく、

「霊が上からわれわれの上にそそがれて」
(イザヤ32:15)

とあるように、神の介入があってのことです。

自分を強く鍛え上げたその延長上に祝福が待っているように思いますが、そうではなく、神の霊の働きを受け入れ、内側から変えられることで人は本来の祝福に満ちた人生を歩むことができるのです。

人間のわざの終わりが神のわざの始まりです。

一旦手放したその先から、神のわざが始まり、

「荒野は良き畑となり、良き畑は林のごとく見られるようになる」
(イザヤ32:15)

という人生が起こされていくのです。

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来週の18日(木)には年に1回の山形講演会が控えています。

毎年その直前の期間には、悪魔が妨害しているのでしょうか、必ず何か問題が起きます。

今年も例にもれず、様々のチャレンジを味わわされています。

あまりにも毎年同じなので、もはや

「大事な時になぜこんな大変なことが次々と起こるのだろう…」

などとは思わなくなりました。

「大事な時だから大変なことが起きるのだ。あっ、早速いらっしゃった!」

と思うようになりました。

そして、毎日、淡々と、今日一日負うべき重荷を負わせていただき、トラブルが襲いかかってくることに抵抗しません。

「これは神様が許されて起こっていること」

と受け入れ、自分の手で解決してやろうなどとは思わず、完全に手放しています。

なぜなら、講演会が終わった瞬間から、一切は静かになり、問題はピタリと鳴りを潜めることを知っているからです。

「しかし、ついには霊が上からわれわれの上にそそがれて、」

との御言葉は真実であることが、あと数日で明らかになることが今から楽しみです。

信仰によって生きるとはこういう具体的な毎日を過ごすことなのだな、と思わされています。

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神の許可がなければ何も起こりません。

神の見えざる配慮の手を信じ、荒野が良い畑に変えられる日があることを信じて、今日一日の確かな歩みを続けて参りましょう。

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