今日のみ言葉【No.1036】(2015年 5月13日)

わたしは良いぶどうの結ぶのを待ち望んだのに、どうして野ぶどうを結んだのか。
(イザヤ5:4)

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山形県の特産品といえば、「さくらんぼ」と「ラ・フランス」でしょう。共に全国No.1の収穫量を誇ります。

そして、「たらの芽」と「わらび」も一位です(JA全農山形ホームページより)。

果樹王国であり山菜王国でもあるのが自然豊かな山形県です。

さて、聖書に出てくる「ぶどう」はどうでしょうか?

1位は山梨県、2位は長野県、そして山形県が3位に入っています。

秋になると、多種多様の粒なりのぶどうを次々と味わえる山形県に住んでいる私は、

「天国の先取りだなぁ!」

と毎年思って暮らしています。

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イザヤ書第5章の冒頭にあるのは、良いぶどうの豊かな収穫を期待して恵みに恵みを施してきた神が、イスラエルという畑を通して得たのは、なんと種ばかり大きくて実の無い野ぶどうだった、というお話です。

エジプトの奴隷から彼らを解放し、イスラエルを助け導いてきた神でしたが、当の彼らはその神の恵みに感謝して応えていくことを怠っている、とイザヤは痛烈に語っているのです。

ですから、この章は「わざわいなるかな」で始まる預言の連続です。

イザヤは民に対して

・今繁栄しているのはなぜだかよく考えよ

・このまま自分の欲得を追求する道を進んでいった先には、国の滅亡が待っている

・神は外敵の侵入を許して裁きを下される

というメッセージを伝えました。

残念ながら当時のイスラエルの民はイザヤの言葉に耳を貸さず、むしろ彼を敵視しました。

伝承によれば、イザヤは木ののこぎりで身を轢かれて殺されるという残虐な死に方で殉教したと言われています。

さて、彼の預言がなされてから100年以上たって、それはバビロン捕囚という形で現実となりました。

「あの時、いろんな人がいろんなことを言ったけれど、イザヤの言ったことが正しかったのだ」

とイスラエルはようやく知り、イザヤの言葉をまとめたのがイザヤ書です。

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新約の時代、イエス・キリストのとりなしの祈りが、私たちを滅びから食い止めています。

「ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください」
(ルカ13:8-9)

今、まだチャンスのある時、方向転換をし、キリストの十字架による救いをいただくこと。

これが神の御心であり、神と人、双方の喜びでもあります。

そのために神は忍耐深く待っておられるのです。

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先日の礼拝で感動的な証しがありました。

高校生の時に洗礼を受けたのですが、すぐに神様から離れ、約30年後の今、再び教会に戻ってきた主婦の方のお証しでした。

彼女のお父さんは熱心なクリスチャンでしたが、教会に来るきっかけは娘さんに

「何か自信をつけさせたい」

という思いで通わせた英語クラスでした。

チャペルタイムで福音を聞き、ご両親は洗礼を受け、反抗する娘さんのために祈り続けました。

しかしお父さんは40代で病に倒れ、先に天国に行かれました。

そのようないきさつを知る礼拝の司会者は、普段めったに涙を見せない方ですが、

「天国のお父さんが、本当に…」

とグッと涙をこらえ、声を詰まらせ、

「喜んでおられることでしょう」

と証しの後に述べておられたことも感動的でした。

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神に立ち返るのに遅すぎることはありません。

今この時、方向転換をすれば、野ぶどうは良いぶどうに変わることを覚え、キリストによる罪のゆるしを信じる一日を送って参りましょう。

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