今日のみ言葉【No.1035】(2015年 5月12日)

その日、主の枝は麗しく栄え
(イザヤ4:2)

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米沢藩の財政再建を果たした名君と呼ばれる上杉鷹山。

このお殿様は、家々の垣根として「うこぎ」を使え、と藩民に命じました。

「うこぎ」はバラ科の植物で、そのトゲが外敵の侵入を妨げます。

つまり、お金を使わずに、自然の物で防御壁を築こうとした鷹山の知恵なのです。

また、その葉は食料となり、特に春に吹き出す柔らかい若葉を摘み、さっと湯がき、かつお節と醤油でいただいたり、味噌をつけてあぶったうこぎなどは絶品です。

春特有の苦味と爽やかな若葉の香り、柔らかくて同時にシャキシャキとした食感。

ホカホカのご飯に乗せて食べると、例えようのない美味しさです。

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イザヤ書第2章では、米沢のウコギを遥かにまさる規模で、

「その日、主の枝は麗しく栄え」
(イザヤ4:2)

とあります。

ただし、「その日」とは終末のことであり、「主の枝は麗しく栄え」とはイスラエルの「残りの者」の祝福を表しています。

非常に興味深いことに、最後に残る者は、優秀かつ正しく生き抜いた人たちではありません。

「そして主が審判の霊と滅亡の霊とをもって、シオンの娘らの汚れを洗い、エルサレムの血をその中から除き去られるとき、シオンに残る者、エルサレムにとどまる者、すべてエルサレムにあって、生命の書にしるされた者は聖なる者ととなえられる。」
(イザヤ4:3-4)

残った者とは、汚れた「シオンの娘」(イスラエルの民の意)です。

この民の汚れが、「審判の霊と滅亡の霊」で洗いきよめられ、「生命の書にしるされた者」となっていくというのです。

人間の罪が神のわざによってきよめられるという、新約の十字架の預言がここに見えます。

人は「審判の霊と滅亡の霊」とによって、古い自分が一度滅ぼされなければならないのです。

そして、十字架の血によって洗いきよめられ、新しい命を与えられた者として復活し、「生命の書にしるされた者」となるのです。

神の恵みはこの順番で与えられていくのです。

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経営の達人の松下幸之助さんは、部下を叱って叱って叱り抜くことで有名でした。

松下さんに怒られた社員は身が凍るような怖さを感じたと言います。

それは、松下さんが真剣に仕事にも社員にも取り組んでいるがゆえの「迫力」が出ていたからなのでしょう。

しかし、神の裁きのような1時間、2時間が過ぎた頃、絶妙のフォローがあるのです。

「君の力があれば、できたはずやないか」

「君はもう充分にわしの考え方を理解しとるはずや。理解しているくせに、こういうことをやったらアカンやないか」

叱った後に、必ずフォローがあり、部下はそのことで救われ、「期待されているから叱られているのだ」と理解し、やる気が起きたと言います。

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神が語る滅びの預言も同じです。

人を全く滅ぼすために神は語っているのではなく、その人をきよめ、新しい命に生かすためなのです。

そのために、神はすでにひとり子のイエス・キリストをこの地上に遣わし、私たち人間の罪のために十字架につけられました。

そして、キリストの十字架の死は私の罪の身代わりのためであったのだ、と信じるだけで、罪がきよめられ、ゆるされ、新しい永遠の命が与えられるという約束を神は結んでくださったのです。

ここに

「その日、主の枝は麗しく栄え」
(イザヤ4:2)

という情景を見る人生の道が開かれているのです。

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キリストの福音をこの身に受け入れる一日として参りましょう。

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