今日のみ言葉【No.1613】(2017年 9月29日)「 信仰の生きた教材」
ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちた人であった。モーセが彼の上に手を置いたからである。
(申命記34:9)
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内村鑑三は『後世への最大遺物』という著書の中で、後に続く人たちに対して残せるものは何かを次の4つにまとめています。
まず、(1)お金(2)事業(3)思想、です。
しかし、「金がない。仕事もパッとしない。立派な思想もない」という凡人は何を残せるのでしょうか?
内村はそれは(4)高尚な生涯だと言うのです。
試練の中で勇ましく高尚な生涯を送ったことを子々孫々に見せること。
これが後世への最大遺物だと彼は語ります。
モーセは次世代のリーダーとなるべきヨシュアをそばに置き、自分の生き方や行動を余す所なく見せることで神の意志を存分に彼に伝えました。
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ヨシュアに関しては、
「若い時からモーセの従者であったヌンの子ヨシュア」
(民数記11:28)
という記述が残されてあります。
彼は早い時期からモーセに付き従い、モーセと神との関わりを間近に見てきました。
ヨシュアにとってモーセは信仰の生きた教材でした。
モーセにとってヨシュアは選ばれた後継者でした。
荒野の40年の生活が終わりを迎え、いよいよ約束の地カナンを目前にし、モーセは自分の人生の最終段階が見えてきました。
今、この時、イスラエルの民に祝福となる運命を確認させ、これから予想される様々な苦難に備えさせるため、神への信頼を強固にさせなければなりません。
「さあどうしようか?」とその時になってあわてて考えたのでは間に合いません。
荒野での40年間、ありのままの生き様を見せ、その姿から学んでいたヨシュアに託すことが最善でした。
モーセはその役目を果たし、イスラエルの民を導く使命はヨシュアに引き継がれました。
あなたが今生きているその姿がそのまま周りの人々への教材となるのです。
それは成功例だけではありません。
むしろ失敗例や、窮地に追い込まれた時に神に全てをお任せする態度が本当に役立つ生きた教材となるのです。
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私の失敗例を一つ。
20代の頃は経験が乏しいので何でも見通しが甘くなるものです。
田中師を空港に車で送ることになった時、ガイドブックに書かれた通りの「空港まで90分」という数字を鵜呑みにしてしまいました。
しかしそれは万事順調に行った場合の理想の時間であって、途中でもしかして交通事故が起きて渋滞になるかもしれません。工事中で待ち合わせ時間が発生したり、雨が降って全体的に車の流れが遅くなる状況もあり得ます。
想定外の事態が生じても間に合うように余裕を持って出発すべきが、そうはせず、飛行機の出発予定時刻の90分前に車を出し、途中で「あれ、間に合うのか?」と気づきだしました。
焦りに焦りましたが、交通違反をするわけにはいきません。
田中先生はじっと静かに何も言わずに座っておられます。
幸い、車の流れは順調でお天気も良く、ギリギリセーフで間に合いました。
しかし飛行機を利用される方はお分かりのように、出発時刻の30分前には搭乗手続きを済ませておかなければなりません。
すると田中師は、「すいません、乗れますでしょうか?」と平身低頭、頭をペコペコさせて頼み込んだ…、のではなく、堂々と「お願いします」と搭乗券を係員に差し出しました。
空港カウンターの人は一瞬あっけにとられた様子でしたが、乗れることを信じて疑わない雰囲気に圧倒されたのか何なのか、とにかく搭乗できるようにテキパキと手続きをし、離陸直前の飛行機に何事もなかったかのように乗り込み、席につくことができました。
後で田中師の隣に座っていた人が「こんなことは見たことがない。あなたはこの航空会社の役員か、飛行機の専門のエンジニアに違いない」と話しかけて来たそうです。
神を信じるありのままの姿、誰をも責めず、神にゆだね、謙遜に大胆に生きる姿。
その生きている姿が私の生きた信仰の教材となりました。
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今のありのままの姿でチャレンジすることが、誰かの将来のための財産となります。
精一杯、神の御心を果たす一日として参りましょう。
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